序章・夢の始まり
その人は、草原にいつもたたずんでいた。
どの位の頻度で…、といったことは分からないが、私が見ている限り、とにかくいつも。
で、いつも彼は特に何もせずずっと遠くの方を見ているのだった。
なんでそんなことをしているのかは、分からない。
もう随分前から、彼の後姿を同じ角度で見ているというのに。
…けして、私がその人のストーカーって訳ではない。
てか、ストーカーするくらいなら、私は当たって砕けるし。
…っと、話がそれたな。
この日も、私がいつもの通り彼を見ていると、彼もいつもの通り振舞う。
見ている私になんて気づかず、ずっと前を向いていると言う行動を。
そんな彼を見つめるだけ、と言うのも癪ではあるが、
他の事をしようと思ってもできないことを私は知っているし、そんな気がこの空間では起こらないことも知っている。
だから私は、この場所に来るたびに思うことを再び考えるのだ。
「こんなに至近距離で見てるのに、どうして彼は私の存在に気がつかないのか」と。
私がそう思った瞬間、いつもあることが起こるのだ。
今まで、前を向いていた彼がこっちを振り向く。
私はそれを今日もじっと見つめていた。
今日こそ、彼の顔を拝むために。
そう、今日こそ…―――――――――
気がついたら、私の目線の先は天井だった。
カーテンの隙間から差し込む光がなぜか眩しくて、思わず一度目を閉じたけど、何とか再びまぶたを押し開ける。
私は寝ぼけ眼を擦りながら、辺りを見回した。
そこには、私がいつも見慣れたものが転がっていた。
机にイスに本棚にクローゼット、どれも私がいつも使っているものばかりだ。
私自身もいつものパジャマを着て、いつもの私のベットの上に寝ていたようだ。
もちろん、周りに広がっているのも草原じゃない。
列記とした、いつもの通りの私の―――東条愛璃の部屋に間違いない。
先ほどの光景のように、草や木なんて一本も生えていない。
というか、生えていたら人間の家屋ではそれこそ問題だ。
私はそんな私自身の部屋を見て、ため息を吐く。
そうしてから、私はいつものように呟くのだ。
「…今日こそあの人が美形かどうか、確かめるつもりだったのにっ!!」
え?呟くより叫ぶに近くないかって?
そういうところは深く突っ込んではいけませんわ、皆様。
今日こそ、といったことから分かっているとは思うけど、
私があの夢を見るのは、何も今回が初めてではない。
しかも、かなりの回数見ていたりする。
初めて見たのは丁度一年と三ヶ月ほど前で、丁度高校に入学した頃だ。
初めて見たときは、別にどうとも思わなかった。
私は結構夢をよく見る体質だったからだ。
だから、二回三回と続けてみても、別段気にも留めなかったのだ。
しかし何度も何度も同じ夢を一年と三ヶ月に渡って見るのであったなら、話は違ってくる。
そこまで長期連載な夢を見ることは、私であっても他の人であってもまずありえないだろう。
しかも、他の夢の場合は先が見えてみたり、微妙な所で途切れたりするのだろうが、この夢の場合、同じところを何度も何度も何度も何度も嫌と言うほどまったく同じ場面を繰り返して見るだけなのだ。
さらに、日を追うごとに見る回数が月に一回だったのが週一、週に一回だったのが三日に一回、一日一回になって、今では眠るたびに、たとえそれが授業中の居眠りであっても見ちゃうっていういらないオマケ付だったりする。
さすがに、同じ夢を十回見たら私は飽きる。
数十回見させられているこの夢は、さすがにもういいですって感じだ。
でも、こうなってしまったらまるで何かを伝えたいがごとく、続いてしまうのが世の常だ。
その夢に対応する何かが起こらない限り、終らないのだろう。
「…まったく、面倒だったらありゃしない。」
私は、もう一度ため息を吐いて立ち上がった。
こんなことはいつまで考えていても考えるだけ無駄というものだ。
どれだけ考えても、答えや対応策なんて出てこない。
それなら気にせず日常生活を満喫したほうがよっぽど経済的というものである。
私がクローゼットの扉を開けようとしたとき、私はあることに気がついた。
クローゼットの取っ手に伸びた手が、なぜか拳を作っているのである。
これも、あの夢を見たときにはいつも無意識にやっていることだ。
私は、「またか」と思いつつ、手のひらを広げる。
――――――中から出てきたのは、チェーンを通した少し古い指輪だった。
これは、双子の姉・裕璃とおそろいのもので、物心つく前からいつも首から提げて持ち歩いている。
毎日といっても、お風呂に入る時と寝る時は外している。
もちろん、寝る時だって目覚まし時計の隣においている。
しかし、夢を見た後はかなり離れていない限り指輪をいつも握っているのだ。
あまりに夢を見たときとそれを握っていることが多かったので、コレが原因かと思ったときもあったが、どれだけ離していても効果は無かった。
だから今では気にせず、いつもの通りの場所に指輪を置いている。
考えてみたら、夢を見る前からこの指輪を私は持っていたのだし、今更コレのせいかどうか考えることなんて無意味だと思うし。
私はいつものように指輪を首から提げようとして、やめた。
今日くらい、首から提げておかなくてもいいような気がしたのだ。
本当に、ただなんとなく。
私はその指輪をチェーンから外し、左手の中指に通す。
薬指では大きすぎるのだ。
私は、いつもとはちょっと違うことをしてから、着替えを開始した。
一通りの身支度をしてから、私は階段を下りてキッチンに向かった。
そこからは、いいにおいが漂ってくる。
相変わらず、おいしそうな匂いだ。
私がその匂いによって感じた腹減りを満たすためにキッチンへの扉をくぐる。
すると、中にはいつものようにある人物がいた。
私のことをよく知っている人物、双子の姉である東条裕璃である。
彼女は、私が入ってくる音が聞こえたのか、こっちを振り向く。
そんな彼女に、私は開口一番にこう言ってみた。
「はっきり言ってウザイよね、裕璃?」
「朝から何言ってるの、愛璃…。」
彼女は、私が何を言っているのか分からなかったみたいだ。
…まぁ、そんなことをあっていの一番に言われたら普通なら分からなくて当然だが。
でも、私たちは『双子』というあまり多いとはいえない特殊関係にある。
そのくらいは、その双子の力でも使って何とかわかってほしいものだ、うん。
「愛璃…、今明らかに無理なこと考えたでしょ?」
…なんでそっちは分かるんでしょ?
「…まぁいいや。とりあえず、おはよう裕璃。」
「おはよう、愛璃。」
裕璃はそう笑顔で言って、目線を私から彼女の焼いている目玉焼きの方に移した。
毎日の朝食を作るのは、彼女―――双子の姉・東条裕璃の日課である。
私はとりあえず何か手伝うことはないかと思って裕璃の回りを見回すけれど、もうすでにテーブルの上にはご飯と味噌汁が載っている。
彼女の周りを見る限り、あとはメインの目玉焼きが焼けるの待ちらしく、仕事の速い裕璃を手伝う必要は無さそうだ。
だから私は、いつもそうしているようにイスに座って待つことにした。
案の定、裕璃はすぐに端の方に付け合せのレタスとトマトとハムが乗っている皿に目玉焼きを乗せてテーブルの上に置き、愛璃の向側の席に座った。
私がそれを確認してから胸の前で手を合わせると、裕璃も一緒に手を合わせる。
そうしてから互いに顔を見合わせて、こう言う。
「「いただきます。」」
この食事前の挨拶は、私たちの日課なのだ。
私はそれから箸を持って味噌汁を一口飲み、私にとってのいつも通りの行動をする。
今日の味噌汁ダシ&ミソ当てゲームである。
「お、今日はかつおダシで赤味噌。」
「正解、さすが愛璃、味噌汁好きだね。」
「味噌汁自体が好きかどうかはわかんないけど、裕璃が作ったのは美味しいから好き。」
と私は目玉焼きを突きながら言う。
どうやらいつも通り、私好みに卵を半熟に作ってくれたらしい。
裕璃はそんな私に一度小さく微笑んで私に醤油を差し出しながら言った。
「で、どうしたの?」
「ん〜?何が?」
私は醤油を受け取り、目玉焼きの黄身の部分に醤油をかけてかき混ぜ、それを白身のところに付けて食べる。
これをご飯と一緒に食べるのが、私にとって目玉焼きを美味しく食べる方法なのだ。
「何がって…、さっきのウザイ発言よ。」
「ああ、アレ。
実は今日も例の夢見ちゃってさ〜。」
「また、愛璃も?」
…私も?
その言葉を聞いて、私は持っていた茶碗をテーブルの上に置いた。
「ってことは、裕璃も今日見たんだ?」
「うん。しかもやっぱり昨日と同じで同じ所で始まって、同じところで終わったの。
愛璃はどう?何か内容変わった?」
「全〜然!」
実は裕璃も、私と同じ時期からずっと同じ夢を見るらしいのだ。
やっぱり私と同じように、最近は寝るたびに毎回、である。
それだけ聞けば双子パワーでシンクロしちゃってるって考えてもいいのかもしれないけど、私と裕璃の夢には唯一にして最大の相違点が存在しているのである。
それは、夢の内容が明らかに異なっているということだ。
「愛璃の夢は…草原で男の人がたたずんでるんだっけ?」
「そうそう。…で、裕璃のが舞台が神殿ぽい所で、いるのは女の人だよね。」
ほら、場所もバラバラで人物も性別さえあってない。
しかもこの夢、同じとことで始まって同じところで終るもんだから、彼や彼女がなぜそこにいるのか、一体何をしているのか、なんてことはまったく分からないのである。
もちろん、彼がどういった人物なのかってことも。
「で、どうしてそれが“ウザイ”の?」
と、裕璃が心底不思議そうな顔をして聞いてくるので、私は心底うんざりしながら答える。
「だってさ〜、最初のころは二人で同じ夢じゃないけど、何連続も同じ日に同じ夢を見ること自体が楽しかったけど、さすがに飽きてきたしね。
もう分かったから早く進みやがれ!!って感じ。」
「ぷっ、愛璃らしいね。」
裕璃は思わず手を掲げて握りこぶしを作る私を見て、手を口に当てて噴出して笑う。
って、おやぁ?
「裕璃、もう食べ終わったの?早っ!」
「愛璃が遅いんでしょ?
話しに夢中になって全然箸進めてないんじゃない。」
と、裕璃は言ってから手を合わせて、
「ご馳走様。」
と言い、食べ終わった食器類を持ってキッチンの方へ行った。
…そういえば、その通りだ。
私ってば全体的に一口二口食べただけで、殆どご飯が残っていしまっている。
私はそのご飯たちが冷める前に食べ終わってしまおうと思い、急いでもう一度茶碗を持った。
冷めてしまって美味しくなくなったご飯を食べるのは、ご飯に対して失礼だし。
私がご飯を食べ終わって二人分の食器を片付けていると、トントンと裕璃が階段をリズムよく降りてくる音がした。
この家には、今はもう私と裕璃しか住んでおらず、なおかつ互いの足音なんて聞きなれたもので、すぐに分かってしまう。
私は、最後のお皿を拭いて所定の位置にしまうと、彼女の足音が向かった玄関へとスリッパを履いて歩く。
「あ、愛璃。今、声をかけようと思ったんだ。」
と言う裕璃は、制服姿だった。
「ああ、そっか。今日も部活?」
「そ。夏休みだっていうのに毎日のようにあるのは反則だよね〜。」
といって、裕璃は苦笑にも似た笑みを浮かべる。
「自由参加なのに行ってる裕璃が生真面目すぎんのよ。」
「う…。で…でも、自分より強い人が毎日やってるのに、それより弱い私がやらないってのは…ねぇ?」
「それが生真面目だって言ってるの。」
私は彼女をビシッっと指差しながら言ってやる。
でも、
「…でも、それが裕璃のいいところなんだけどね♪」
と、私がウィンクして言うと彼女はテレながら笑う。
美人の裕璃のこんな表情をみたら、世の中の男なんぞ一瞬にして恋に落ちてしまうだろう、と私は思っている。
そう、彼女は私と双子であるのに、とても美人さんだ。
美形観察が趣味の私ですらも認めるほどの。
…そりゃ、贔屓目もちょっとは入っているけど、実際に高校の彼女の男子生徒からの人気は非常に高いことで裏付けられるだろう。
「…ま〜た変なこと考えてたでしょ?」
「だからなんでこういう時に気づくの?」
「愛璃が変なこと考えてるときはわかるの。」
さすが我が姉、変なところで敏感で。
私は、苦笑いしている彼女に向かって、人の悪い笑みを浮かべる。
「じゃ〜、がんばって〜♪私は家でぐうたらしてるから〜♪」
「ああ〜!!ずるい!!」
私が八割方からかいでいった言葉に、彼女は怒ったように非難の声を上げる。
私はそんな彼女を見て、思わず笑ってしまう。
裕璃もそんな私を見て、思わず笑っている。
こんなふうにお互いに何でも無い様なことで笑いあうのが、私はとても好きだ。
裕璃が元気で笑ってくれていれば、それでいいと私には思えるのだ。
本当に大切な、たった一人の家族だから。
私のキャラじゃないけど、本気でそう思ってる。
そして、ひとしきり笑い終えた後、私は裕璃に向かって拳を握った右手を突き出す。
「いってらっしゃい!!裕璃!!」
これは、出かけるときの私たちの挨拶。
小さかったころ、じいちゃんに教えてもらったものだ。
家にいるほうが拳を作って左手を突き出し、出かけるほうが挨拶をしてから右手に拳を作って合わせる。
まるで武道家みたいな挨拶だが、じいちゃんは剣術の師範だったので、きっとそのルーツでわが家に伝わってきたのだろうと思う。
この日も、単なる挨拶のつもりだったのだ。
「うん。いってきます!!愛璃!!」
と、裕璃は言う。
そして、彼女の右手の拳が私の左手の拳に合わせる。
すると、いつもやるときには聞いたことが無い音がした。
いつもなら小さく「コッ」っとするのだが、今日は「コン」。
まるで金属同士が触れ合うような、そんな音。
どうしてだろうと思ったが、私が今朝したことを思い出した。
今日はなんとなく、左手に指輪をはめたのだということに。
私は裕璃と合わせている拳の方を見た。
―――――――瞬間
私の、いや私たちの立っていた地面が揺れた。
「え…ちょっ…!!」
「な…何?!!」
私と裕璃はその揺れに思わず声を上げていた。
地震なのかと思い、周りを見回すが靴箱の上に載っているものはまったく揺れていない。
ということは、私と裕璃の立っているところだけがゆれていると言うことである。
私は、なぜそうなるのかと思い、自分達が立っている床を見下げる。
何の変哲も無い床だ…、そう思ったその時。
床は、なんの前触れも無く一部分が消失した。
消失した部分から除くのは下の土ではなく、終わりが見えない闇。
まるで、落とし穴。
そう思った私は次の瞬間、
当然のようにその穴に吸い込まれた。
感じたのは、ある意味予想道理な落下感。
「って、やっぱり落とし穴かいっ!!!!」
私が大声で言ったことも、深い深い闇の中へととけて消えていった…。
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