第三章
 5 それって殆ど他人じゃない?



時刻はちょうど朝食時、場所は宿屋の一階のレストラン。

パンの焼ける匂いが鼻腔をくすぐり、お腹のスタンバイは当に万端。

さぁ! 運ばれてきた料理を片っ端から片付けてしまえっ!

――― と、普段ならこのような命令が脳内から出されていたことだろう。

しかし、今私はそんな命令を出すどころか、今はやめておけという脳内信号が出される始末。

だから、私はおとなしくイスの上で正座しながらチラチラと前を、というか前方に座っている人物たちの様子を伺う。

そう、ほとんどの人が分かっているかと思うが、旅の仲間のディオとレクティを。

彼らはいつもの朝食の風景のように、私の前に座っている。

それは本当に通常の姿であるが、今回はその行動がどこと無くおかしい。

何せディオは机の上に突っ伏し、レクティは眉間にしわを寄せているのだ。

その上、二人ともどこと無く機嫌が悪そうときている。

だが、いつもの私ならそんなことも気にせずにご飯に手を付けていたかもしれない。

しかし、今回は彼らが不機嫌になっている原因がなんとなく予想できてしまっているから、そうもできない。

話をさかのぼれば昨晩。

私はこの世界に来る前に続けざまに見ていた夢の続きを見てしまい、しかもそれが中途半端に終わってしまったためにかなり苛立っていた。

で、自分のストレスを解消するために夜中にマラソン大会を決行、しかも無理やり彼らをつき合わせてしまったのである。

確かに、夢から覚めた時間は寝た時間が時間だっただけにそれほど遅くなかった。

が、やはり本人たちの了承も得ずに長時間つき合わせたのは、相当まずかったのだろう。

ご飯を食べようと一階に降りて来て、レクティの眉間のしわを見た瞬間に気がついた。

だから、私はこうやって反省のポーズをずっととっているのである。

しかし、それにしてはおかしな事が二つあった。

ひとつは私が視界に入ってきても説教のひとつもしない彼ら。

いつもなら私が視界に入った瞬間に北極も真っ青な冷たい声で私を近くに来させるはずである。

しかし、今回は朝の挨拶をちょっと気だるげにしただけで説教のせの字も無い。

意外と流されやすいディオはともかく、特技の一つに説教が含まれるレクティにしてはこれはおかしな事態である。

それに、目の前に並んでいる朝食の類。

なぜこれらが普通に机の上に並んでいるのか、それがひとつの疑問点だ。

私は彼の姿を見た瞬間から、ずっと反省のポーズをとっている。

もちろん食事の注文などしてはいないし、大体殆ど文字が読めない私では主食とメイン、副菜などがバランスよく完璧に注文してあるこのような朝食を注文できはしない。

怒っているなら、普通相手にこのようなすばらしい朝食を用意して待っているだろうか。

少なくとも私なら用意しない。

姑息な人なら目の前に餌をちらつかせつつ説教をする、などといったこともあるかもしれないが、彼らは意地悪なわけでもない。

なら、これは本当に好意で用意しておいてくれたものなのだろう。

けれども、食べていいともなんとも言われていない食事に手を付けるのは不気味すぎる。そんな風に私が考え込んでいると、

「…食べないのか?」

と、いつもと同じ調子でレクティが話しかける。

「へ?」

そんな彼に、私はなんとも間の抜けた声で対応した。

だってまさか二人のうち、特に機嫌の悪そうな方に話しかけられるなんて思うはず無いではないか。

「朝食。」

今度は短く、彼は私に言う。

そんな彼にあっけに取られながらも、

「た…食べます。」

と、やはり少し混乱しているせいか、なぜか敬語になってしまう。

私はまず、正座からごく普通の椅子の座り方へとチェンジする。

そして、私が言った言葉の通りに、近くに置いてあったスプーンを取り、すぐ近くにあったポタージュスープに手を伸ばした。

うん、おいしい。

…ってそうじゃない自分。

私は思わず自分のとった行動にツッコミを入れながら、改めてレクティの表情を見つめる。

しかし、やはりそこには不機嫌そうにゆがめられた表情。

私にご飯を食べてもいいという許可を出したのに、である。

説教も何もしなかったということは怒っていないととってもいいのだろうが、それにしたって不機嫌すぎやしないだろうか。

私はそう思って、とりあえずもう一口スープを飲んでから、スプーンを静かに置く。

そして、彼と相変わらず突っ伏したままのディオをじっと見つめ…

「私が悪かった。」

と、謝ってみた。

私にしては、かなり譲歩的な態度である。

だがしかし、彼らはそんな私に向かって、

「…何が?」

と、声を揃えて言うのだった。

私はそんな彼らを、きょとんとして見つめる。

今の彼らの台詞には、多少の疲れやらなんやらが読み取れた。

しかし、私に対しての非難という感情は、無かったかのように思える。

私はそんな彼らに、ポツリとさらに一言付け足す。

「何って…昨日のマラソン大会…。」

すると、彼らは例の姿のまま数秒考え込み、

「ああ、あれか。」

と、またもや同時に言った。

「あれかって…。」

忘れるほどインパクトの低い出来事だっただろうか?

私がもし夜、誰かに問答無用でそんなことにつき合わされたら、かなり怒り狂う。

けれども、彼らは今本当にどうでもいいような感じで、私に言うのだ。

眉間にしわを寄せながら考え込む私に対して、レクティはため息を吐いた。

「あんなこと、別に気にしていない。」

「え、そうなの?」

「君の突拍子も無い言動は、結構慣れたつもりだからな。」

「そうそう。」

と、レクティの台詞に続いて言うのは、机に突っ伏すのを止めたディオの声。

「あれくらいでくたばってるようじゃ、今一緒に旅なんてできねぇよ。」

慣れだ慣れ、とディオは続けて言う。

そんな彼らの台詞に頭を悩ませたのは、今度は私の番だった。

私は、彼らが昨日の行動を流せるほど妙なことを、今までやってきたのだろうか?

…いや確かに朝っぱらラジオ体操とかしたこともあったが、特に普通にいつもの自分自身でいたはずである。

ということは、彼らも普段の私を見ているというわけで。

それでもって、普段の私自体が変だと判断しているわけだ。

確かに少々変な性格はしていると自分でうすうすとは分かっていたが、他人に指摘まがいをされると、妙な気分になる。

「大体慣れてツッコミいれてくれないって言うのも、悲しいし…。」

と、私はぶつぶつとつぶやく。

するとディオはそんな私の言葉を、

「結局、お前ってそこが重要なんだな。」

といいながら、今日はじめての微笑みを浮かべた。

ああ、やっぱり美形の笑顔は素敵だ。

私はそう思いながら、そばにあった紅茶のティーカップに手を取り、一口それを味わう。

少しさめてしまったけれど、なかなかおいしい紅茶のようでほんのりとした甘みがたまらない。

「で? それじゃあ何でため息なんてついてるの?」

私はてっきりそれで機嫌悪いのかと思ったんだけど。

と、正直な心情を彼らに明かす。

するとディオとレクティの周りの雰囲気が、再度どんよりと曇る。

…いったいどうしたというのだろうか。

私はそう思いながら、彼ら二人が口を開くのを待った。

すると、説明役よろしくレクティが口を開く。

「…実は、今日行かなくてはならない場所についての話題なんだが…。」

「行かなくちゃ、いけない?」

思わず、彼の台詞に疑問形で返答をする。

私たちは目標こそあるものの、基本的に自由な旅をしてきた。

裕璃の元に帰るという、いずれ行きたい、行かなければならない場所は私には確かにある。

しかし、何をすれば帰ることができるか分からない以上、この世界の中で目的地という場所は今のところ皆無というのが現状だ。

それなのに、彼は「行かなくてはならない」という表現を出したのである。

しかも、彼らの表情から見て、できれば行きたくないのだろう。

そこで私は、ある推論を立てた。

「…もしかして、私関連のことで?」

行きたくは無いが、行かなければいけない。

それはその場所にそれなりの目的のようなものがあるという証拠だ。

そしてそれが私たちがこの町に立ち寄ることとなった理由、

つまり元の世界に帰るための手がかりやらなんやらがそこにある、ということではないのだろうか。

私がそう思い彼らに聞いてみると、案の定彼らはコクリとうなずく。

その瞬間、私はガッツポーズをしたい気分にかられた

もちろん元の世界に帰る手がかりが見つかるかもしれないから、はなくて、自分の推理が当たったからである。

しかし、目の前に座っているお葬式一歩手前な雰囲気にその手を押し留めた。

見て分かるように、どうやら本当に彼らはその場所に行くことを嫌がっているようである。

そんな彼らを目の前にして、自分だけ喜びをかみ締めることなど神経が細い糸のようにセンサイなワタシにはできるはずが無い。

…いや、もちろんその糸がピアノ線並みの硬度があることぐらい、自分自身のことであるから知ってはいるが。

これでも、一応『遠慮』という言葉は私の辞書にも載っているのである。

「いや…うん、ごめん。」

私は本日二度目となる謝罪を述べる。

私は彼らを面白くいじり倒すのは好きではあるが、別に苛めたいわけではない。

呆れながらもツッコミを入れてくれる空気は好きだが、落ち込んでいる姿を見たくは無い。

私のために嫌な所へ赴かなければならないのならば、とりあえず謝っておこうと、そう思って。

すると、彼らは目を丸くした。

「…何よ?」

問いかける私に、彼らは顔を見合わせる。

「だって…。」

「なぁ?」

「いや二人だけで納得しないで。」

ちゃんと説明しなさいよ。

私は少々いらだちながら、目の前にあった目玉焼きにホークを刺す。

そんな私の行動を見て、本日二度目の微笑を浮かべる二人。

私はそんな彼らを、怪訝そうな瞳で見つめる。

すると、レクティは突然。

「君は意地っ張りで少しわがままで、いつもハイテンション。」

「…喧嘩売ってんの?」

私は額に浮かべていた青筋マークを、数個増やして聞く。

けれど、彼はその表情のままで。

「いや?」

「じゃあ何がいいたいのよ。」

私は手にしたホークを思わず回しながら、聞く。

すると、今度はディオがこう答えた。

「…そんなヤツだけど、結局お前は、いい奴なんだなって。」

な、とディオはレクティと顔を見合わせる。

すると、レクティも彼の言った言葉に答えるように頷いた。

「はぁ?」

全然まったくもって意味が分からない。

思わず眉間にしわを寄せると、ディオとレクティはそんな私を見てさらに深く微笑む。

「まぁ、そう考え込むな。」

「行けば分かる。」

そう言って、彼らは彼らの生活の糧を体内に入れるべく、行動を開始した。

そんな彼らを、私は唖然とした表情で見つめていた。

いつもならば彼らをからかうのは私なのに、なぜか今日に限って私がからかわれている。

昨日やらかしたことがアレなので、下手に出たのがまずかったという話もあるだろうが、

それにしたって、いつもと比べると随分な態度である。

私はこれ以上何を言っても無駄だと感じ、ひとつため息を吐く。

胸がもやもやしたのなんて、久しぶりだ。

「…で、結局今日はどこに行くのよ?」

私は胸のモヤモヤをそのままにしておいて、彼らに当初の目的を問いただす。

何でそんなことを言ったのか、今問い詰めても彼らは答えてくれはしないだろう。

それに『行けば分かる』と言っている。

その行く場所さえ分かってしまえば、彼らがそう言った理由が少しでも分かるのではないかと思ったのである。

すると、ディオはこう説明した。

「この地域で一番趣味が悪い場所。」

「は?」

疑問の声を上げる私。

すると、今度はレクティが、

「そして、この地域で一番会いたくは無い人物がいる場所だ。」

「いや、何よそれ。」

思わずツッコミを入れる私。

しかし、彼らはそんな私の言葉に苦笑するだけで、後は何も言わずただ朝食を口に運ぶ。

何なんだろう、今日の彼らは。

普段なら、きちんと説明してくれる親切な彼らが、なぜか今日は何も言わない。

いや、何も言わないというより、言う余裕が無いみたいだ。

いつもはツッコミ担当の癖に、今日は彼らがボケに回っているし。

本来ボケ担当の私にツッコミをさせるなんて、相当焦っている証拠である。

私はそんな彼らを見ながら、ため息を吐く。

これ以上、何を言っても教えてくれなさそうだと感じたためである。

彼らが『行けば分かる』と言うのだから、行けば分かるんだろうと自分の好奇心を押さえ込む。

無駄に考え込むよりさっさと行動した方が、疑問が早く解決するだろうと思って。

だから私は、ひとまずここにきた目的である朝食を取ろうと思った。

ご飯を食べない限り、その趣味が悪くて会いたくない人物が居る場所には行けないのだろうから。

「あ。」

朝食に視線を移した私は、思わず声を上げた。

目の前には、彼らが注文してくれていた見事なバランスのおいしそうな朝食 ――――

ではなく、自分が今まで回し続けていたフォークによって無残な姿となった朝食たちがそこに並んでいた。

「…もったいない…。」

私は自分がしたことを後悔する。

ご飯は味も大切だが、見た目も食欲をそそるために大切なことなのである。

しかし、まさか残すわけにもいかないだろう。

トホホと涙しながらも、私はその朝食モドキにフォークを伸ばすのだった。



――――――― なるほど。

彼らに着いていった先で、私が思ったことといえば、それだけだった。

もっと他に感想は無いのかと怒られそうだが、彼らが言った二つの条件がぴったりと当てはまったもんだから、感心以外何も思いつかない。

私は彼らに連れられて、今日の目的地とやらに連れていかれた。

そこにあったのは、この町一番と言っていいほどの大きなお屋敷。

彼らが『趣味が悪い』そして『一番会いたくない人物』がいる場所なのだろうその概観を見ただけで、後者はともかく前者の意見には早くも納得してしまった。

この一体の土地の値段がどれくらいなのか私は知らないが、ディオの家以上の大きさがある。

もう城と言っても良いんじゃないかという大きさのその屋敷は、なぜか表面がすべて金色に塗られていたのである。

しかも、どうやらただ単に金色に塗られているだけではなく、金箔が塗りこめられているようである。

壁を剥がすだけで収入を得ることができる泥棒の対策がとても気になる家ではある。

確かに、これは上品を通り越して悪趣味だ。

そして私たちはその扉をノックし、執事さんに案内されたその先でこの館の主と出会う。

その人物こそが、レクティが言った言葉を納得させる原因となった。

私達の目の前に居る、おそらくこの館の主であろう人。

この町は私の町だと言っている苗字の持ち主であるが、その服装がなんともはや。

いかにも良いもの食ってますという感じの体型を包むのは、似合わない紫色が綺麗に輝く上着。

白いズボンで高貴さをかもし出したいのかもしれない。

しかし、四十代と思しきオッサンである時点で見事に失敗している。

その上、彼はやはりこの館にお似合いの金髪をたなびかせている。

典型的な嫌な金持ちという感じである。

この世界にこういう人種はまだ生き残っていたのか、と私が思っていると。

「ようこそいらっしゃいました、ローレンシア殿。」

私達に、いやおそらくこの中にいる特定の人物に会釈するオッサン。

視線が彼のことしか見ていないことで、丸分かりだ。

私がその人物、まぁ簡単に言ってしまえばディオの表情を伺い見る。

すると、彼は普段の自然のモノとはかけ離れた笑顔を浮かべ、

「お久しぶりです、レスティネート殿。」

と、そのオッサンに対して言った。

―――――― 私は、思わず驚愕の悲鳴を上げそうになった。

今まで散々ツッコミとして活用してきたディオが、生まれのわりに口が悪いディオが。

なんと、私の中で初対面にして信用ならん大人ランキングに食い込みそうなこのオッサンに対して敬語を使ったのである!!

凄いぞディオ、敬語使えたんだね!!

そんなことを思っていると、

「痛っ!」

思わず背中に奔った痛みに、小さく声をあげる私。

どうやら背中をつねられたらしい。

私はそんなことをした犯人がいるであろう、隣を見た。

するとそこには呆れが混じったような表情を浮かべた、レクティの姿。

… どうやら考えていたことがばれたらしい。

――――― 表情にでも出ていたのだろうか?

そんなことを思って、悔しさを現すように少し口を尖らせる。

すると、レクティはそんなことにはかまいもせず、視線を前面へと移す。

まるで、前を見ろと言っているようだ。

私がそんなことをふと思って、顔をレクティから前へと移す。

「――――――― ウワッ?!」

思わず、悲鳴のようなものを口走った。

私の斜め右前には、ディオが立っている。

これは、この屋敷に入ってからの変わらないポジションで、いまさら驚くことでもない。

問題はその左側にいる妙な物体 ―――――― そう、例のオッサンの顔である。

今までディオ越しに少ししか見えなかったその顔が、いきなりどアップで眼前に広がっているのである。

これで悲鳴をあげないで、いつあげろと言うんだ。

私は思わず手を意味の無い方向へ上げながら、そう思った。

「はて…トリーティア殿はともかくこちらの方はどなただったか…。」

ディオとレクティのことは知っているこのオッサンは、そう言いながら私の方へと手を伸ばそうとする。

普段の私なら、得体の知れない気色悪いオッサンの手なんぞすぐに払いのけていただろう。

しかし、今回は相手がなまじ偉そうなため、そういったこともできない。

ここは避けるだけに留まるべきか?

混乱した頭でそう思っている内に、オッサンの手はどんどん私に近づいてくる。

―――――― しかし。

「レスティネート様、初対面の女性にそのようなことをするのは失礼だと思いますが…。」

と、呆れたような声でレクティが言った。

するとオッサンは、

「おお…スマンスマン!!」

と言って、その風体から想像できるような速度でゆっくりと元の位置に戻った。

「で、そちらのお嬢さんは誰かな、ローレンシア殿?」

「はい、こちらはアイリ=トージョーと言いまして、私の友人です。」

そう言って、ディオは一歩横にずれて、私の方を見る。

「アイリ、こちらはアルディオラ=レスティネート氏、俺の母の従兄弟の祖母の連れ合いの甥に当たる人だ。」

「…それって殆ど他人じゃない?」

思ったことをそのまま口に出す私。

その瞬間周りの…というか、主に前方の空気が固まったことを私は感じた。

奇妙に思って視線をそちらの方に移してみる。

すると、そこには青筋が見えるんじゃないかと思われるほどオッサンもといレスティネート氏。

不機嫌を隠して笑顔を浮かべているが、見事に生かされていない。

しかし何だっていきなり不機嫌になったんだろうか。

私がそう思っていると、

「アイリ…。」

と、なにやら咎めるような声色で私の名前を呼ぶレクティ。

私が何か言い返す前に、

「いえ、トリーティア殿、確かにその通りですから。」

お気になさらずに。

そう、例の失敗笑顔のまま言うレスティネート氏。

心境を隠すのはとても下手だが、なかなか根性はある人かもしれない。

それに免じて、私はとりあえずディオの前に出て、

「…失礼いたしましたレスティネート様。

ご紹介にあがりました、アイリ=トージョーと申します。」

と、私にとっては珍しく敬語で彼に挨拶をする。

これ以上機嫌を悪くされたら、隣のレクティに何されるか分かったもんじゃない。

面倒だがこうしておくのが後々楽だろうと思い、態度を改めてみる。

すると、みるみるうちに機嫌が直ってゆくレスティネート氏。

「いやいや、私も挨拶もせずに悪かったね。
 この町を治めているアルディオラ=レスティネートだ。」

よろしく、と言いながら彼は私のほうに向かって手を差し出した。

…これは握手しろということなのだろうか…。

手を見て数秒固まっていると、後ろで背中をつつかれているのを感じる。

誰だかわからないが、取り合えずさっさとしろとの催促だろう。

私は目の前のレスティネート氏に気付かれないようにため息を吐く。

――――――― できれば触りたくなかったのだが、仕方が無い。

私は覚悟を決めて、彼の手に私の手を伸ばした。

彼の手に自分の手を当てはめ、そして軽くギュッと握る。

…その瞬間に、私は後悔の念に苛まれた。

地面に落ちていたオクラの欠片を踏んだことがある経験がある人ならば分かるかもしれない。

ただの野菜屑だと甘く見てそのまま通過しようとしたとき、切ってあるためにヌルヌルがモロに足の裏に張り付くあの感触を。

なぜ今そんな話題を出すのかと言えば、私がそれ似たような感触を今この手で感じているからである。

何でこんなに汗ばんでいて、ぬるぬるしているのだろうか。

何か手に塗りこんでいるのだろうか。

私も確かに手に汗ぐらいはかくが、これはひどすぎやしないか。

そう思いながらも、私はその感触に耐える。

数瞬後、私はもういいだろうと思って手を離そうとした。

しかし、なぜかレスティネート氏は離そうとしない。

私が怪訝そうに彼を見上げると、

「どうぞよろしく、トージョー殿?」

と、彼は言った。

…なんとなく時代劇に出てくる悪役のような笑顔である。

こちらとしてはあまりよろしくしたくないタイプの人間である。

しかし、まぁ目的がある以上仕方が無いだろう。

「そうですね、よろしくお願いします。」

私は観念して、絶対に本心がばれないと思えるような清々しい笑顔で彼に応えた。

すると、レスティネート氏はやっと満足したのか、ひとつうなづくとようやく私の手を離した。

―――――――― 物凄く手を拭きたい。

「それで、ローレンシア殿。」

少しだけ機嫌を直したのか、レスティネート氏はその表情のままディオに問う。

「今日はどういった用件でいらっしゃったのかな?」

すると、一歩下がっていたディオが、ポンと私の頭を叩いた。

「…?」

どうしてそんなことをされたのか分からず、レスティネート氏に呼ばれて私の前へ出ようとする彼を見る。

するとそこには、微笑を浮かべる彼の顔。

そして、「悪かったな」と唇の形だけで綴ったすぐ後には、彼の表情はうかがえなくなった。

もう私の目の前へと立ってしまったから。

「はい、今日はレスティネート殿の屋敷にある方陣魔法研究所に用がありまして。」

…なるほど、これで今日ここにきた理由が分かった。

おそらく昨日の聞き込みか何かで、そのことを知ったのだろう。

だが、相手はディオが知っているこんな性格の悪そうなオッサン。

さっき謝ってくれたことといい、ディオもこの人が苦手なのだろう。

それに、最初に出会った様子からこの人はレクティにも会ったことがあるようだ。

だからこの完全に悪趣味に成り下がっている成金趣味を知っていたのかもしれない。

そう考えれば、朝彼らがとっていた行動にも納得はできる。

「研究所?」

ディオの言葉に、とたんにうかない顔をするレスティネート氏。

「方陣魔法のことで少々お聞きしたいことが…どうなされましたか?」

目の前にいたため流石に気がついたのか、ディオがレスティネート氏に問う。

すると、彼は落胆のため息をこれ見よがしに吐くと、

「いえ実はね、前々からあなたの父君に舞踏会の招待状などを送っていたのだが、
 一度も来てくれたことが無くてね…。」

「え…。」

「変わりに息子の君が来てくれたのかと思ったんだが…。」

見込み違いだったようだねぇ。

そう言って、彼はもう一度ため息を吐く。

「え…あ、や…申し訳ありません。」

そんなレスティネート氏に対して、戸惑いの色を隠せず返事をするディオ。

寝耳に水の話だったらしく、少々地が出てしまっている。

そんな彼に対し、件の表情を崩さぬままレスティネートは、

「いえ、それはいいのですが…実は明日の夜、偶然舞踏会を行うことになっておりましてなぁ。この誘いももちろん父上にさせていただいたのですが…いやはや残念です。」

と、なんとも分かりやすい台詞を吐いた。

これには、私も唖然しかできなかった。

舞踏会とは、簡単に言うと踊って楽しむ会といった感じだろう。

一番初めの文字に濁点つけただけで別の会になるが、まぁこのオッサンの風貌ではその会を開くとも思えない。

だからこそ、私は唖然としたのだ。

そんなものが、さも都合よく明日開かれるなんて道理があるのだろうかと。

会というくらいだから大勢のお客さんが必要である。

だから本当に偶然なのだろうが、相手が相手なだけに物凄く怪しい。

もしかしたら、コイツがしょっちゅう舞踏会を開いているだけかもしれないが、それでもだ。

私は思わず、少し後ろで待機していたレクティに視線を送る。

すると、彼のほうもとても驚いたような顔をしていて、なんだか普段の冷静さとはかけ離れていた。

まるで私がボケつくした後のようだ。

私がそんなことを思っていると、レクティが視線で前を向けというリアクションをしてみせる。

私は普段とは違う表情が見れた御礼に、彼の言うとおりにしてみる。

すると、そこには私たちを振り返ったディオがいた。

その表情は困った表情に似ているが、なんとも言いがたいものが浮かんでいる。

明らかに相手の言った言葉にどう対応していいのか、分かっていないようだ。

できれば断りたいが、断れば後で色々と角が立つ。

しかし、それだけ旅は遅くなってしまうとか、そんなことを思っているのだろう。

私はそんな困った表情の彼に、微笑を浮かべて縦にひとつ、頷いてやる。

そんな私の態度を見て、彼は一瞬意外そうな顔をする。

断るとでも思ったのだろう。

確かに、もともと彼らが私を召喚したせいで発生した旅ではある。

しかし私はそのことに対して怒ってはいないし、すぐに帰りたいと言う訳でもない。

それに、私のために時間を割いてくれているということは確かなのである。

だから彼の、というよりも彼の父・アスガルドさんの為に時間を使うこともいいんじゃないか、と思ったのだ。

私は彼を納得させるため、もう一度頷いてみせた。

すると、彼は私に対してもう一度苦笑を浮かべ、

「悪い。」

と、小さく私に言い、

「…分かりました、参加いたします。」

と、ディオは決断したのだった。

…声色はとても嫌そうだったが。





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