第三章
 4 また生殺し



私は空を見上げていた。

どこまでも青さだけが目に映る、空。

雲一つないその光景は、暮らしていた世界で見た夢の中と同じ位の青さだ。

もちろん草原の中の開けた場所、という点も同じ。

しかし、そのいつもと同じモノのなかにたった一つの相違がある。

夢の中に出てくる背中美形が、私に話しかけてくるという事。

それは今までに見られなかった現象だった。

「…聞こえてはいるようだな…。」

不信感がひしひしと伝わってくるような、声。

私はゆっくりと、その声のした方向を向く。

そこにいたのは、当然ながら例の人物。

顔が見たいと願いながらも、なんとなく無理だろうと思い込んでいた青年である。

予想通りに綺麗な顔立ちを私に向けている。

翡翠色の瞳に、声色と同じ感情を宿して。

私はそんな彼の顔をマジマジと見つめていた。

「―――――― とりあえず、喜んどくべき?」

「は?」

「あ、いやいやこっちの話。」

心の中で問いかけようとしたことが、口から出ていた。

突然そんな事を言われても、彼にとっては意味不明だろう。

というか、突然そんな事を言い出した私がますます怪しく見えるだけだろう。

そう思って慌てて言いつくろってみるが、結果はやはり同じだった。

彼の瞳がこれでもかというくらいに細められる。

笑っているから、ではなくて不信感から。

「――― やっと顔が見れたなって、思っただけだってば。」

仕方無しに、私は白状する。

ただでさえ疑われているのに、言うのを渋って妙な誤解を受けるのは御免である。

誤解されるなら相手が私に慣れてきてからギャグ的要素でと決めているのだ。

―――――― まぁ、こんな考えを持つのもかなり特殊だとは思っているが。

「やっと…?」

そんな私の言葉に、眉をひそめる彼。

「そう、やっと。」

どれだけの年月、後姿を指をくわえて見ていたか。

自分の勘が相手は美形だと告げているのに、それを確かめられない。

それは世の中の美形観察を趣味に持つ人にしか分からない痛みかもしれない。

私はそう思って瞳を軽く閉じ、頷いていると ――――

「… ―――― そうかッ!」

私の言葉を聞いて、突然大声を出す青年。

びっくりして見開いた私の瞳に映ったのは、嬉しそうな青年の笑顔。

ゴールデンレトリバーを彷彿とさせるような無邪気なそれ。

二十代と思しき青年にその笑顔は ――――― 何故かとても似合っていた。

「いつもここで私を見ていたのは、お前なんだな?」

表情と同じような感情を、台詞に込める青年。

そんな彼に対して、戸惑いを隠せない私。

「い…いつも…って…。」

そんなこと、初めて知った。

確かに、私はいつも彼の夢を見ている。

―――――― そう、『いつも』同じ内容の夢を。

同じ場所で、同じ人が、同じ行動を繰り返している。

だから私はそれが『同じ夢』だと思っていた。

けれども、彼は『いつも』見られていたらしい。

ということは、私が今まで見ていたのは同じようで全て違う夢なのだろう。

私以外の誰かが彼を見ていたという可能性が無いわけでも無いが、そう考えるのが妥当だ。

「まぁ…多分そう。」

曖昧に答える私。

自分でしっかりと確信を持っているわけではないので、言い切れないのだ。

そんな私に対して青年は、しかし嫌な顔一つせず件の犬系笑顔を浮かべたまま、

「そうか、ようやく謎が解けたぞ。」

と、嬉しそうに言う。

私の中にあった幻想的、とかいうイメージを崩れ去らせるような態度である。

…まぁ、美形には変わり無いからいいのだけれど。

「そりゃ良かったね。」

苦笑いに近いだろう表情を、私が浮かべる。

すると青年も、

「ああ!」

と、これまで以上に深い喜びを、その顔に表した。

「それで…あ〜…。」

何かを問いかけようとして、言葉に詰まる青年。

おそらく名前が分からなかったのだろう。

今回が初対面みたいなものなので、当たり前だ。

寧ろ名前を分かってしまう方がおかしい。

「私の名前なら、愛璃。 アイリ=トージョーよ?」

と、当然のことのように告げる。

すると青年が一瞬不思議そうな顔をするが、その前の自分の行動を思い出したのだろうか急に表情を戻して、

「ああ、ありがとう。」

と、男性なのに反則だろうと思える可愛さで答えた。

――――― 何か微妙に負けたと思うのは、気のせいだろうか。

「…貴方のお名前は?」

私は内心の複雑さをなるべく隠して、青年に問う。

すると、何故か彼の笑顔が凍りついた。

「…?」

不信そうに、私は彼を見る。

今までのことから考えて、彼は内面が非常に顔に出やすいタイプのはず。

ならば今回のそれも、表情を凍りつかせるような事を言われたかされたか、もしくは起こったかのどれかだ。

前後関係から考えて、凍りつかせた原因は私の名前の問いかけだろう。

しかし、そんなことでなぜ彼が表情を凍りつかせるのか。

よっぽど変な名前なのだろうか。

「…お〜い…?」

私はそう言いながら、彼の目の前に手を持ってゆき、ぶんぶん振ってみる。

すると彼はハッと我に返り、

「す…すまない。」

と、礼儀正しく謝った。

「いやいや…で、名前は?」

どんな変な名前が飛び出すのかわくわくしながら、彼に再度問う。

しかしそんな期待とは裏腹に、

「…フェイトだ。」

と、極々普通の名前が彼の口からボソリと飛び出した。

「ふ〜ん…フェイトさん、ね。」

私はニヤリと笑いながら、彼の名前を口にする。

「あ…ああ。」

すると、実に歯切れの悪い答えが彼の口から飛び出した。

こんな些細なことで、私の立てた過程が本当なのではないかと思え始める。

名前を答えるだけなのにいいにくそうで、その上名前しか名乗っていない。

それはフェイト(仮)さんの本名が、それだけ喋りにくいということなのではないだろうか。

喋りにくい名前、といえばやっぱり妙な名前だと思えるわけで。

彼はそれを隠したいがために、このように言いよどんでるのではないか。

私はそう思ったのだ。

「…で、本名は?」

「なッ?!」

唐突な私の問いかけに、フェイト(仮)さんは驚きの声を漏らす。

あんなにあからさまな表情をしていたのにバレないと思ったのか、それとも深く聞いてこないと思ったのか。

どちらなのかは分からないが、とんだ甘い考えである。

私はわりと他人事に首を突っ込むのが好きだったりする。

なぜ彼が隠したがっているのか、それは分からない。

けれど、何か話の種になりそうなことが隠されているような、そんな気がしたのだ。

「教えてくださいな、フェイトさん?」

私が少し意地悪そうに見えるだろう笑みを、彼に向ける。

すると彼は顔を紅くしたり、はたまた青くしたりと忙しく色を変えていた。

…そんなに言いがたいことなのだろうか。

私はそう思いつつ、期待に胸を膨らませる。

どんな面白い名前が飛び出すのだろうかと思って。

「…名前は本当に、フェイトだ。」

赤い顔色で、眉を寄せながら言うフェイトさん。

「うん。 じゃあ苗字とかは?」

そんな彼に、私は容赦なくすっぱりと問いかける。

遠まわしに聞くという芸当が出来ないわけではないが、はっきり言って苦手である。

ならば直接攻撃が一番効果的で疲れないと、そう思って。

「…。」

そんな私の方を見てから、彼は深くため息を吐く。

私が見逃すということは無いと、悟ったのだろうか。

諦めと覚悟が読み取れるような、そんなため息。

息遣いがはっきりと聞こえたそれは、風の音の中に響く。

かき消されることは無く、確かにそこに。

「…私の、苗字は…。」

「苗字は?」

いいにくそうな彼に対して、待ってましたといわんばかりに目を輝かせる私。

どんな面白い答えが聞けるのだろうか。

どんな問題が隠されているのだろうか。

それを考えると、わくわくしてしまう。

私はそれを隠すつもりも無かったから、表に前面に出して。

―――――――― しかし。

「…――――――――――――。」

重い口を開く、フェイトさん。

そのまま何かしら言葉の形を作った、彼の唇。

本来なら音声が聞こえてくるだろうその場面なのに 、声は聞こえない。

風の音が、びゅうびゅうと吹き荒れているだけだった。

「え?」

私が問いかけるように、彼に言う。

すると、彼は少々苛立ったような表情をして、

「――――― !!」

と、荒く何かを言い放つ。

それだけは、感じ取れた。

「聞こえな…って?!」

私は三度、彼に問いかけようとする。

しかし、今度は風の音すら聞こえなくなった。

いや、それだけではない。

鳥の鳴き声も、目の前にいたフェイトも、周りの風景も。

全てが一瞬のうちに、無くなった。

変わりに現れたのは、どこまでもただ黒い空間。

まるで全てが闇に吸い込まれたように、それはそこに佇む。

「ちょ…――――――」

私は抗議の声を、上げようとする。

しかしその声ですら、その闇に溶けてゆく。

今の自分自身より早く、それは私の声を吸い込む。

まるでそれが自分だと言わんがばかりに、全てを飲み込む。

そう、私の体でさえも。

その場に残るものなど、あるのだろうか。

私はそんな事を考えながら、無の中へ落ちて行く。

「また生殺し ――――― ?!」

そんな私の台詞と共に ――――――――――――



ディオとレクティは、宿の部屋のベットの上で向き合って座っていた。

「…。」

「…。」

時刻はまだ暗くなってから時間が経っていない頃。

いつもならば、談笑でもしている場面であろう。

しかし今は、ただ沈黙が続くばかり。

時折ため息がもれるだけ。

それの沈黙は、実はこの宿に着く以前から続いている。

けして喧嘩しているとか、そのような理由からではない。

何を言っていいのか、よくわからなかったのだ。

「…どうするよ?」

初めに口火を切ったのは、うつむいたままのディオ。

とても基本的な、しかし重要な事。

そして初めに決めておかなければならない事だろう。

とても言いづらそうに言った彼に対して、レクティはまた一つため息を吐く。

「どうって…行くしか無いだろう。」

その言葉は、淡々とその場に響いた。

まるで人事のように発せられたその言葉に、ディオはレクティの方を見る。

本気なのかと、そんな感情を込めた瞳で。

しかし、そこで出会ったのは先ほどの自分と同じ迷いの表情で。

だからこそ、彼は言葉を詰まらせた。

「…そうなんだろうけど…な。」

ディオもディオで、悩んでいた。

だからこそレクティに問いかけたのだ。

しかし、彼も悩んでいると表情から読み取った。

だからこそ、彼もそれを肯定するしかなかった。

ディオも薄々そうするしかないことは分かっていたから。

理由はごく簡単な事。

「そんな事言って納得するような奴じゃねぇもんな、アイリ。」

ハハハ、と苦笑いをするディオ。

そんな彼に対して、レクティは眉根を寄せてこくんと一つ頷いた。

彼だって、本当なら行くのを止めたい。

そんな思いは確かにある。

ならばここに手がかりはなさそうだといってしまった方が良いと思えるかもしれない。

しかし、相手は妙に聡い所もある東条愛璃である。

自分たちが何かボロを出してばれてしまうのが関の山だ。

ウソがばれてしまったとき、彼女がどんな行動に出るか。

それは彼らにも分からない。

「それに…。」

「?」

「それが何の根拠の無い噂だとしても…正直ほっとくことはできないだろう?」

僕も、君も。

苦笑いしながら、レクティは言う。

そんな彼をディオは少し目を見開いて見つめ、

「ま…そりゃそうだわな。」

と言って、同じような笑顔を浮かべる。

確かに、その通りだ。

自分たちはあんな事を見捨てれるほど、まだ人間が完成しきれていない。

余計な事にはかかわりたくないとも思いながら、しかしながら確かめたいとも思ってしまう。

何かあるならば、自分に出来る限りの事をしたいと思っている。

それに ――――――

「噂は…所詮噂だろう?」

まだ、確定したわけじゃない。

レクティはそう言いながら、そのまま天井を見上げる。

そんな彼に対して、ディオはため息を一つ吐いて、

「心配しすぎだって言うのか?」

と言いながら、体全体をベットに倒す。

そんなわけじゃ無い。

レクティがそういう前に。


ガゴンッ!!


ディオ達の部屋に、音が響く。

「…?」

「何だ…?」

それは彼らの隣の部屋から響いた、何かを殴ったような音。

少し壁が揺れた様が見えたから、おそらくそれ自体を殴ったのだろう。

しかし、それは彼らにとって一番に気になったことではなかった。

彼らがもっとも気になったこと、それはそれが隣の ―――― 愛璃の部屋から響いてきたこと。

レクティはそのままで、ディオはベットから跳ね起きて、同じ壁を見つめる。

しばらくそのままでいてから、二人は同時に互いの方を見た。

「何なんだ?」

「何やってんだ?」

同じような台詞が、二人から同時に零れる。

それにも少々驚きながら、しばらく経ってからため息を吐く。

二人で考えていても、何も始まらない。

それが一瞬のうちに分かってしまったから。

「…とりあえず、部屋見に行くか…?」

疲れたように言い放つ、ディオ。

何でアイツはこうも気になるようなことばかり起こすのだろうと、そう思っているのだろう。

レクティはそう解釈した。

なぜならば、自分もそう思っているのだから。

先ほどの答えも、結局は行ってみて考えるというなんとも行き当たりばったりな答えに落ち着いた。

考えても答えが見付からない時、原因を探ってみようとするディオ。

考えても答えが見付からない時、他の要因も考える自分。

そんな彼らの思考は、時々妙にかち合うのだ。

「…そうだな…。」

彼はそう言って、ディオと同じような感情を含めたため息を一つ吐く。

何にしても、今から例の事は説明できそうも無い。

それ所じゃないだろうと、そう思って。



彼らはこの後、中途半端な終わり方をした夢に怒り沸騰中の愛璃と出会い、

そのまま『夜間耐久レース』なるものに付き合わされる事になる。

そう、レクティの想像した通りに ――――――――――――





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