第一章
 2 知らない場所




 裕璃は自分を照らす光に、意識を少しだけ覚醒させた。

 瞼の裏で感じるそれは、とても暖かい。

 続いて感じたのは、柔らかく自分を包む感触。

 その柔らかさや全体を包んでいることから、おそらく布団なんだろうと思った。

 ああ、きっとさっきのあれは目眩でもおきて、愛璃に部屋にでも運ばれたのだろう。

 彼女はそう思っていた。

 裕璃は日と布団と思われるものの暖かさにずっと身を任せていたかったが、ずっとそうではさすがの彼女も心配するだろうと思って、瞳を開ける。

 彼女はその瞬間、ある違和感を覚えた。

 まず、裕璃の目の前に広がったのは、真っ白な天井。

 その天井が、見たことの無い様な色合いに見えるのだ。

 確かに、外壁の白い裕璃の家は天井も白いところが多い。

 しかし、それはどちらかといえばクリーム色のかかった白で、こんな風に純白ではなかったはずなのだ。

 裕璃は不思議に思いつつも、上体を起こす。

 どこにもぶつけていないのか、体に痛みはなく、制服のままである。

 しかし、夏の季節であるはずなのに、その部屋はどこか肌寒かった。

 裕璃は、ゆっくりと辺りを見回した。

 「…え?」

 そこは自分が寝ているベットと、テーブルとイスが一脚無造作に置いてあるだけの部屋。

 他には何もない、物が無いせいあるがかなり広い部屋である。

 彼女はその周りの様子に不安を覚える。

 こんな部屋、彼女の記憶には一切存在しなかったから。

 一瞬病院に連れてこられたのかとも思ったが、ビップルームでもない限り、こんな広さはありえないだろう。

 大体、病室にしても物が少なすぎる。

 裕璃の部屋も物が少ないとはいえ、ここまで何も無い状態ではない。

 裕璃は思わず、右手で胸元を握り締める。

 しかし、そこには彼女の思っていたものは存在しなかった。

 「!?」

 彼女はあわててもう一度辺りを見回した。

 それがどこかに落としてしまったのではないかと思って。

 しかし、どうやらそれは取り越し苦労だったようだ。

 彼女がふと、手に視線を向けると、そこに目当ての物がちゃんとあったのだ。

 彼女が着替える際に右手の薬指につけた、あの指輪である。

 彼女はそれを見つけて、ほっと一息ついた。

 「…そっか。今日は手にはめてたんだっけ…。」

 彼女は薬指から指輪をそっとはずし、そのままそっと右手で握り締めた。

 その時、



 ガチャ…



 「?!」

 裕璃はその物音に驚き、あわててその方向に視線を上げる。

 そこにあったのは、この部屋から出るための木目調のドア。

 それが今、一人の青年によって開けられていた。

 結構長身の青年で、ダークグリーンの少し長めの髪を肩の辺りでくくり、それより少し濃い瞳には大人の落ち着いた雰囲気がたたえられている。

 科学者か何かなのか、タートルネックの黒のセーターのようなものの上に白衣を着ている。

 下はセーターと同色のスラックスをはいていて、土足の家なのか革の靴を履いていた。

 年齢は三十代か少し前で、手には何故かタライとタオル。

 「気がついたのか。」

 彼はタライとタオルをテーブルの上において、裕璃の方へと近づいた。

 彼女は、その行動に戸惑いながらも、

 「あ…あの…貴方は誰ですか?」

 と、聞かなければ何も始まらないことを知っているので、恐る恐るだが聞く。

 彼はそんな彼女を安心させるように微笑んだ。

 「すまない。私はヴァルス=レイと言うものだ。」

 彼はそう言いながら、会釈をした。

 そんな彼の様子に驚いたのはやっぱり裕璃で、

 慌てて自分自身もベットの上で正座をしてしまう。

 「あ…いえ、こちらこそ自分から名乗らないですみません。
 私は…」

 東条裕璃です。

 そう言いかけて、彼女は言葉を詰まらせた。

 名前を名乗るのは不都合がある…とかそんなことではない。

 ただ、彼が名乗っていた名前、それが明らかに英語系であるということが気にかかったのだ。

 いくら流暢な日本語で話しているからといっても、自分の名前を分かりやすく変えたほうがいいのかどうか。

 そんな事を裕璃がしばらく考えていると、

 「まさか…記憶喪失か何かか?」

 裕璃がヴァルスの顔を見ると、そこには眉をひそめて心配そうにしている顔があって、

 声の調子も心持ち焦った感じがして、またも彼女は驚いてしまう。

 「…い…いえ、そういうわけではないです!」

 裕璃が左手をブンブン振りながら言うと、ヴァルスは、

 「…そうか。」

 と、安心したかのように、フッと息を吐いた。

 裕璃はなぜ安堵しているのか、いまいちよく分からなかったが、多分この人は会って対して経っていない人間のことでも心配してくれる、優しい人なんだろうと勝手に解釈した。

 「えっと…、私は東条裕璃と言います。
  名前が裕璃で、苗字が東条です。」

 裕璃は海外系の人に対してなら、少し分かりやすいであろう仕方で名乗る。

 「トージョー=ユーリ…。」

 「ああ、言いにくいならユーリ=トージョーでいいですよ?」

 と、裕璃がちょっと不親切だっただろうかと思って言い直すと、ヴァルスは

 「そうか、分かった。」

 と言ってもう一度微笑んだ。

 裕璃もその笑顔で少々安心したが、まだ聞きたいことすべてを聞いてはいなかったので、すぐに心が不安になってしまう。

 「それで…あの…。」

 裕璃は、少しためらうようにヴァルスに問いかけた。

 「ここは、どこなんですか?」



 ヴァルスはその言葉にどう返していいか、言葉に詰まる。

 きっと彼女も、前回と同じように別の所から無理矢理呼び出されてしまったのだろうから。

 実際、彼女の着ている服は、この世界のものと似て異なるものだとすぐに分かったのだし。

 あんな事を直接的に言ってしまっては混乱すると、ヴァルスは思ったのだ。

 「…私の家だ。」

 ヴァルスはとりあえず正解ではあるが彼女の求めているものではないだろう答えを言う。

 「あなたの家…ですか?」

 裕璃は、ヴァルスの思ってもいない言葉に少々言葉を詰まらせる。

 「…えっと…、それは日本のどの辺りにあるんですか?」

 と、裕璃は彼に問う。

 彼はその問いに、内心驚いていた。

 彼女が今言った単語、“日本”というもの。

 それは、昔一回だけ聞いたことがあったから。

 「(やはり、彼と同郷の者か…。)」

 彼はそう思うが、それは口に出しても意味が無いことだったので、何も言わずに、

 「ここは“ニホン”ではない。」

 と、否定しておく。

 裕璃は、ますます不安の色を強くした。

 「え…、じゃあここはどこなんですか?アメリカ?イギリス?それとも…ロシア?」

 裕璃が言っている、彼には分からないがおそらく彼女の知っている地名の名称に、彼はことごとく首を横に振った。

 首を振る度に、彼女の戸惑いは大きくなっていくようだが、彼は嘘をつけなかった。

 ここで言わなかったら、後で真実を知った時に余計に悲しむだろうから。

 「悪いが…ここはそういった地名の土地ではない。
  それに…確か“チキュウ”だったか?その星のどの場所ではない。」

 「…?」

 裕璃は、意味が分からないのか首を少しかしげた。

 ヴァルスは、彼女には少々酷な事実だろうとは思ったが、すべてを言う事を心に決める。

 それも彼女のためだ、と思って。

 「…ここは…。」

 「それ以上はオレが言う。」

 彼の声は、聞きなれた声によって遮られた。

 ヴァルスは、その声がした方――――――ドアの方を振り向いた。





 裕璃はその続きが早く聞きたかった。

 自分にかかわる重大なことなのだろうと、そう思って。

 しかし、今まで自分に説明してくれていた ヴァルスという青年を遮る声があって、彼は声がした方向を振り向いた。

 だから裕璃も彼に合わせてその方向を向く。

 そこにいたのは、二人の男性だった。

 前の方にいたのは、黒いYシャツ黒いスラックス、そしてまたも白衣を着た銅色の髪を左側でわけ、その方向の髪だけかきあげている青年。

 瞳の色は髪より少し濃い銅色で、年は二十五歳ほど。

 その青年の後ろから覗いていたのは、彼女と同じか少し上くらいの少年で、黒い髪と黒い瞳を持っている。

 服装はシャツのような白い服に、前部分がヒモで止められている紺色のベスト、腰に斜めにかけられたベルトのようなものを下げ、ベストより少し濃い色のジーンズという格好をしていた。

 ヴァルスを含め、彼らの服装は裕璃の常識の中にある日常生活ではあまり見られない格好だった。

 「…ゼロ、それとシュウ。」

 「お…おはようございます。」

 「…」

 二人は部屋の中に入ってきて、ヴァルスの手前辺りの所で止まる。

 「え…?誰なんですか、この子…。」

 少年は、微妙に青年の後ろに隠れながらヴァルスに問う。

 「えっと…私は…。」

 彼女はそれに答えようとするが、突然現れた二人に戸惑って言葉が出ない。

 そんな彼女を見計らって、代わりにヴァルスがこう答えた。

 「彼女はユーリ=トージョー。“チキュウ”の“ニホン”から来たそうだ。」

 「え…?」

 少年はその言葉に、裕璃に少し近づいた。

 「君…日本人…なの?」

 「あ、はい。そうですけど…。」

 裕璃はなぜそんな事を聞くのだろうかと思いつつも、聞かれことを返すのが礼儀だろうと思って答える。

 少年はそれを聞いて、少し微笑んだ。

 「俺の名前は御崎修司。修めるに司る…で、修司。同じく、日本人。」

 「え?そうなんですか?」

 「うん。えっと…東条さん?は名前どう書くの?」

 「えっと、裕福の裕に瑠璃の璃で裕璃です。」

 と、未だに2m離れているこの距離は一体なんなのだろうと思いながらも、裕璃はにこやかに答えた。

 なおもシュウこと修司は、その距離を保ちつつ裕璃に問いかけた。

 「年はいくつなの?」

 「十六歳です。…高2の。」

 「ああ、じゃあ一つ下だね。俺は高3の十七歳。」

 「そうなんですか。えっと、住んでいる所は?」

 「あー、関東の……」

 「うるせぇ。」

 そう、最後の一人、ゼロが呟いた瞬間、

 修司は突然その口から言葉を紡ぐことをやめた。

 裕璃はどうしてだろうと思っていると、ゼロがつかつか自分の方向に歩み寄ってくる。

 その代わりに、修司は同速度で後ずさりしていた。

 「…???」

 裕璃には何故だか分からなかった。

 「おい。」

 ゼロは無表情に、裕璃を見て言う。

 「は…はい。えっと…」

 と、裕璃が困ると、

 「ゼロ。ゼロ=ウィンシーだ。」

 彼は面倒くさそうに、そう答えた。

 裕璃はその態度に少々むっとしたが、口には出さない。

 「お前は…」

 「はい?」

 「お前は本当に、コイツと同じ所から来たんだな?」

 と、ゼロは自分の後ろの方にいるであろう修司を親指で指差す。

 「多分、そうです。」

 と、裕璃は言葉の真意が分からなかったが、とりあえず答える。

 ゼロはその答えを聞いて、おもむろにため息をついた。

 裕璃はそんな彼の様子を不思議そうに見つめる。

 そんな時間が少し経ってから、

 おもむろに、彼は口を開いた。

 「…ここは、西大陸の北西に位置するエルトランド国の王都・エルトリア。」

 「…え?」

 「お前の住んでいる所からは、異世界に値する。」

 裕璃は初め、その言葉が理解できなかった。

 当然である。

 彼女にとっては、少し前までは自分の世界の自宅にいたのだ。

 それを一瞬で理解できるのは、よっぽど並外れた認識力と順応能力を持っている人間、あるいは異世界に元から憧れていた人間でなければ不可能だろう。

 「…ウソ…でしょう?」

 「本当だ。証拠に…」

 と、言うと同時に、彼はぶつぶつと彼女には聞こえないくらいで言葉を紡ぐ。

 裕璃は、混乱しつつもそれを黙って見つめた。

 ゼロは両手を合わせて、目を閉じる。

 やがてその両手が緑色の光に包まれる。

 「…?」

 裕璃は、何故そんなことが起こるのか、手の間にライトか何かを仕込んでいたのかと、そのときは思った。

 しかし、ゼロは言葉を紡ぐことをまだ止めていない。

 彼はゆっくりと目を開くと、それと同じくらいの速度で、

 両手を離した――――――

 その場にあったのは、小規模な竜巻。

 「?!」

 裕璃の瞳がその光景によって見開かれる。

 「『魔法』はお前の世界では使えねぇ。…違うか?」

 ゼロはそれに目を向けながら、裕璃に尋ねる。

 裕璃は、その表情のまま、ゆっくりと首を縦に振った。

 ゼロはその答えを聞いてから、両手を握る。

 すると現れていた竜巻は、フッ…と止んだ。

 「本当…なの?ここが別の世界だって…。」

 「ああ。」

 彼女は呆然としながらも、その言葉を信じた。

 今まで言われたことは半信半疑だったが、彼女の目の前で彼女の世界では絶対に起こらないことが行われたのだ。

 彼女は信じざるを得ない。

 自分が、異世界に来てしまったのだということを。

 「…なんで…?どうして私、こんな所にいるの…?」

 裕璃は己を自分の手で抱え込むようにして、呟いた。

 ヴァルスはそれを少し表情を曇らせて見つめる。

 修司は少し離れた所から、哀れんだような瞳を向けている。

 そして、ゼロは、

 「…お前を召喚したのは、オレだ。」

 「…え!?」

 裕璃は弾かれたようにゼロを見上げる。

 そこでであったのは、哀れみも何も浮かべていない、冷酷な瞳。

 彼はその表情のまま、こう言う。

 「オレが、失敗した。だからお前がここにいる。」

 「失敗したって…。」

 裕璃は信じられない、といった表情を彼に向けた。

 それはとても非難に満ちた表情だったのに、彼の表情は一向に崩れない。

 それどころか。

 「…今の所、お前を帰す方法は無ぇ。」

 「?!!」

 ゼロはそう言い放ち、彼女の衝撃など無視してそのままドアの方へと歩いてゆく。

 「!!ゼロ!!」

 「ちょ…ゼロさん?!」

 この行動には、さすがにヴァルスも修司も非難の声を上げた。

 だが、彼の歩みは止まることなく、扉に手を掛け、

 パタン…と

 ただ小さな音だけがそこに響いた。





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