第二章
1 隣人



その部屋の中には、家具と言えるものが殆どなかった。

あるのは窓のところにあるカーテンとベッドとテーブル、
そして殆ど何も入っていないウォークインクローゼットが一つ。

外にはやさしい朝の光があふれていたが、少し古ぼけたカーテンがそれをさえぎり、あまり部屋の中には入ってこない。

そんな少し薄暗い部屋の中にあるベッドは小さく膨らんでいた。

この部屋の主である人が、眠っているのだ。

三日ほど前にここに召喚されてきた少女・東条裕璃である。

裕璃が初めに寝かされていたこの部屋は、今は彼女の部屋となっていた。

彼女は少し寒いのか、毛布の端を引き寄せるようにして眠っている。

その表情はあどけなく、とても気持ちよさそうだ。

朝日が昇って大分たっており、時刻は六時半。

普通の女学生なら寝ていてもおかしくない時間である。

しかし、彼女はここに来る前まで、いつもこの時間に起きていた。

「………ん………。」

ポツリと、声が発せられる。

表情は先ほどとは少し変わって、少々苦しそうだ。

体はまだこの時間に起きるものだと認識していて、眠りが浅くなっているのである。

彼女は一度寝返りをうち、仰向けになる。

そしてそっと瞼をあけて、二・三度瞬きをした。

彼女は左手で目の辺りをこすりながら、ゆっくりと起き上がる。

そしてそのままベッドから立ち上がり、寝ぼけた瞳のままクローゼットの前へと立った。

「…。」

裕璃はそのまま、今まで着ていた寝巻き用のシャツ ――― この家の家主に貰ったものである ――― を脱いで、クローゼットの扉へ手をかける。

そのまま扉を開け、中に入っていた制服のスカートと借り物のシャツを手に取り、ゆっくりと着た。

そしてクローゼットの扉をパタンと閉めて、寝巻きのシャツを一応畳んでテーブルの上に置く。

そんな一連の動作の中、彼女は左手でスカートのポケットを探り、指輪のついたチェーンを取り出す。

彼女はそのまま、それを首にかけた。

これは昔から彼女にとって日常の行動。

どんなに眠くても無意識のうちにできる、一連の動作なのだ。

彼女は少しチェーンをもてあそんでから、その部屋から廊下へ出るための唯一のドアへと足を向ける。

髪の毛を梳かすためと顔を洗うためであり、これも彼女の習慣の一部である。

――――― しかし、一つだけその状況には問題があった。

確かにいつものように、ゆっくりとではあるがきちんと身支度を彼女はし終えている。

しかし、その日は彼女はこれ以上ないほど ――― 寝ぼけていた。

いつも通りの行動を無意識でこなしてはいるものの、頭は完全にお休み状態だ。

彼女の日常上にあったことしか、今はできないのである。

だから、それは仕方がなかったのかもしれない。

彼女は自分の部屋から出ると、そのまま左に曲がって廊下を歩く。

そしてそのまま、隣のドアの前で足を止めた。

裕璃には、ここに来る前に行っていた習慣が、もう一つだけあった。

朝起きたら隣の部屋に寝ている妹の姿を確認することである。

それは家にいる限り欠かしたことがなく、外でもやってしまって恥ずかしい思いをしたこともある。

もちろんよっぽどのことがない限り意識はあるが、外でやってしまうときは大抵意識はない。

今日は、その意識がない日だったのだ。

彼女は、何の躊躇いもなく目の前のドアノブに手をかける。

そしてそのまま、彼女はドアノブを回し、部屋の方と押した。


カチャ…


「………え?」

中にいた人物は、朝だったゆえに響いた小さな音のしたほうへと振り向く。

そして予想外の人物の登場に、彼は固まった。

裕璃はそんな彼のことを寝ぼけたまま見つめる。

まだ寝ぼけていたから、気がつかなかったのだ。

あるいは、そのまま寝ぼけていれば、ことは問題なく終わったのかもしれない。

まぁ、彼の自尊心は少し傷つくかもしれないが。

だがしかし。

いくら寝ぼけているからといっても、いくら彼女にとっては日常であっても。

その結果起こったことが日常と同じでなければ、寝ぼけていることなど意味がないのだ。

裕璃の前に広がるそれは、紛れもなく彼女にとって非日常的光景だった。

それゆえに、裕璃の意識は徐々に覚醒する。

それと同時に、彼女の表情は少しずつ強張っていった。

「………。」

「…えっと。」

彼が何を言うよりも早く、

「……キャ ―――― ッ!!!」

裕璃の叫び声は、その屋敷内に響き渡った。

彼女の目の前にいたのは、上半身何も身に着けていない男性だった ―――――



「本当にごめん! 修司君!!」

裕璃は必死に、謝った。

相手は今朝の出来事の唯一にして最大の被害者・御崎修司である。

修司はそんな裕璃に苦笑いに近い表情をしながら言う。

「いいよ、大丈夫だから。」

彼が手で押さえている頬は、少し赤くはれていた。

「…でも…。」

裕璃は心配そうに、それを見つめる。

「大丈夫だって、裕璃ちゃんは驚いちゃっただけだし。
 別にこれは裕璃ちゃんが殴ったんじゃないだろ?」

自分に手を上げたのは、別の人物だ。

修司がこっそりと心の中で付け足すと、

「…何か言ったか?」

と、とても不機嫌そうな声が修司にかけられた。

修司があわててその方向を向くと、そこにいたのは声と同じくらい不機嫌そうなゼロが椅子に座っていた。

「?! いえゼンゼン何も言ってないですよ?!! ゼロさん!!」

と、自分の怪我の原因となった人物の声に、冷や汗を浮かべながら早口で答えた。

修司があわててそう言うが、ゼロの表情に変化はない。

しかし、だんだんと問いただすのが面倒になってきたのか、視線を読んでいた新聞へと移す。

修司はその様子に、ほっと息を吐いた。



―――あの後

裕璃は叫び声をあげて、ただ呆然としていた。

彼女にとってはありえないことだったので、動けないのだ。

裕璃の家族は、愛璃一人きり。

運動部だった裕璃は確かに部活で男性と接する事はあったが、
それでも家に男性がいなかった分、そういったことに慣れていないほうだろう。

一方修司は姉が三人もいて、通常ならこのようなことにも慣れていたはずだ。

しかし彼はそんな家族を持ちながら女性不信の気があり、このような状況に慣れてもいない。

それゆえ彼もどうしていいか分からず、硬直したままだった。

―――おそらく、どちらかが行動していたのなら。

この後に、何も起こりはしなかっただろう。

その気配は、まずどこかのドアを盛大に開ける音から始まった。

気配は迷うことなくこちらのほうへ歩いてくるようで、音がどんどんと近くなっていく。

そして開いたままになっていた修司の所まで来る。

後ろに気配を感じたためか、少し覚醒した裕璃はその方向を見る。

…しかし、それがますます彼女を硬直させる原因となってしまう。

ドアを開けた人物は彼女のその様子に眉をしかめるも、気にせずそのまま部屋へと入ってきた。

「ゼ…ゼロさん?」

修司はドアから入ってきた人物を驚きながら見た。

そこにいたのはこの家の家主の内の一人、ゼロ=ウィンシーその人である。

家主であるからいてもおかしくはないが、少しばかり問題があった。

ひとつはその姿だ。

裕璃や修司より起きるのが遅い彼は、どうやらまだ寝ていたらしく、姿が寝乱れている。

髪の毛などはセットする前ではあるが、寝相がいいのか変な癖はついていない。

だが、ひとつだけ問題があった。

何故か器用にシャツのボタンだけが全部外れているのである。

それは先ほど裕璃を固まらせた原因であろう。

そしてもうひとつの、修司にとって最大の問題点。

それは、彼がかなり怒っているということだ。

「…え…えっと…。」

修司はゼロのその怒りのオーラに押し負けまいと、焦ったように何かを言おうとする。

何か言い訳をしなければ、やられる。

彼はその時心の中で思っていた。

だが、修司によるゼロの性格判断はまだまだ甘かった。

「…シュウ。」

「は…はい!!」

修司が声を出した結果、ますます不機嫌になったゼロの呼びかけに、
修司は口ごもりながらも、何とか返事をする。

ゼロは返事をした彼のほうにツカツカと歩いていき、彼の胸倉を掴む。

修司が何でと思う暇も無く…

「静かに寝かせろっ!!」

彼の拳は、修司の右頬にめり込んだのだった。





確かにゼロは普段から凶暴で、朝は低血圧のためにさらに容赦ない。

しかし、それにしたって殴ることは無いんじゃなかろうか。

そもそも叫んだのは修司ではない。

修司は確かに裕璃を叫ばせる原因を作った一人ではある。

しかし、それは彼の部屋の中であるプライベート空間。

壁に穴を開けるということでもない限り、何をしても問題ないはずである。

むしろ勝手に扉を開けた裕璃の方に非があるだろう。

それなのに、殴られたのは修司である。

なぜ自分が殴られなければいけなかったのだろう。

修司は思い出したことによって疼いた右頬を押さえながら、心の中で涙した。

「だ…大丈夫?」

修司がその声に気がつき視線を移すと、そこには心配そうに修司を見つめる裕璃がいた。

彼女のそんな行動に、思わず顔を赤らめる修司。

裕璃は修司が殴られたことを後悔していた。

叫んだのは自分だし、そう思うと殴られたのは自分のせいだ。

だから、よりいっそう彼の具合が気になったのである。

「ごめんね、私のせいで…。」

裕璃はそう言いながら、そっと右頬に手を伸ばす。

「!!」

修司はそんな裕璃の行動に、ますます頬に熱を集めてしまう。

他の事なんて考えられないくらい、彼の頭は真っ白になっていた。

でも、やっぱり裕璃に心配をかけたくは無かったので、

「だ…だ…大丈夫。 痛くない。」

と、何とか言葉をしぼりだして言う。

「…本当?」

「う…うん。」

裕璃はそっと、修司の頬から手を離した。

「そっか…よかった。」

裕璃はほっとしたように、微笑を浮かべた。

彼は裕璃の笑顔に目を離せないまま、

「(…まぁ、裕璃ちゃんが殴られるよりはよっぽどいいか。)」

手当てしてもらっちゃったし、と先ほどまでタオルで冷やされていた頬を押さえながら思う。

意外にポジティブシンキングな修司だった。

裕璃はそんな修司をじっと見つめた。

大丈夫と言ってはいるが、本当にそうなのだろうかと。

修司が今あまりにも遠い目線をしているから、心配になってきたのだ。

しかし、本人が大丈夫だと自己申告しているのだから、裕璃は大丈夫だろうと思っておくことにした。

「じゃあ、私ヴァルスさんのお手伝いしてくるね。」

裕璃はそう言って、もう一度修司ににっこりと笑いかけ、リビングからキッチンへとつながる扉をくぐった。

そんな裕璃の姿に修司は、

「…可愛いなぁ…裕璃ちゃん…。」

と、ポツリと声を漏らした。

「…」


ガスッ!


「痛ッ!!」

あまりの痛さに、修司は頭を押えながらテーブルに突っ伏す。

その背後で、ゼロが投げた灰皿が音を立てながら床に転がっていた。



「…えぇっと…。」

裕璃は、自分がどう行動すればいいのか分からなかった。

別に料理をしなれていなかったとかそういうわけではない。

裕璃は元の世界では愛璃と二人暮しであったし、家事は分担制である。

料理どころか掃除も洗濯もそこらの若奥様よりはよっぽどこなせるだろう。

確かに、その場には殆どの料理が作り終わっており、あまり仕事は残っていなかった。

しかし、まだ料理を運んだりという小さな仕事は残っていた。

そんなことは頭では分かっている。

でも、彼女はそう思いながらも動けなかったのである。

理由はごく簡単だ。

裕璃が手伝おうとしていたその家のもう一人の家主、ヴァルス=レイ。

彼が何故か可愛らしいエプロンをつけてキッチンにいたのだ。

全体的にレースがあしらってある、フリフリラブリーエプロン。

色がブルーなのがせめてもの救いだが、二十八歳の男性が着るには違和感出しまくりの一品である。

「…ああ、ユーリか。 どうした?」

ヴァルスは裕璃の存在に気づき、振り返る。

「え…あの…手伝いに来たんですけど…。」

「そうか。」

ヴァルスは納得したように、微笑んだ。

何かその微笑みはその服装と妙にマッチしていて、裕璃は驚く。

しかし、いくら似合っていても男性がそんな格好をしているのはさすがにおかしい。

服装に頓着しない性格なのかもしれないが、それにしたってそのエプロンは色々と聞きたくなる。

もしかしたら触れてはいけないことなのかもしれないが、どうしても気になる。

自分のそんな欲求に負けて、裕璃は潔く聞いてみることにした。

「…えっと…それ、どうしたんですか?」

もちろん、フリフリラブリーなエプロンを指しながら。

ヴァルスは質問の意図が初め分からず眉を寄せるが、

「ああ、これか?」

と、ようやくエプロンのことだと気づき、それをつまみ上げる。

裕璃はそんなヴァルスにコクコクうなずく。

ヴァルスはそんな裕璃の様子が面白くて、思わず微笑んだ。

「隣人に貰ったんだ。
 二つも貰ってしまったのに両方使わないのは失礼だと思ってな。」

「二つ?」

裕璃が首をかしげると、ヴァルスはキッチンの棚の中をごそごそとあさる。

「ああ、ゼロにと貰ったんだが、ゼロは着るのを嫌がってな。」

そう言って、彼は中から取り出したものを裕璃に手渡した。

裕璃はまさかと思いながらも、怖いもの見たさで手渡されたものを広げてみる。

そして、そこにあったのが自分の予想していた通りのもので、少し脱力してしまった。

「…これじゃあ、着るの嫌がりますよ。 ゼロ。」

裕璃の手には、ヴァルスとおそろいのエプロン・ピンクバージョンが握られていた。

「ああ、確かに私でもそれは着るのを躊躇う。
だから無理強いはしないことにしたんだ。」

おそらく死ぬほど似合わんだろうしな。

そう言って、彼は苦笑いをした。

確かに、これを着ろといわれたらゼロがどんな行動に出るか、彼女には少しだけだが想像できた。

それにもし万が一彼がこれを着るのを了承しても、見ているこっち側がダメージを受けることは必至である。

怖いもの見たさも少しだけあるが、その後の精神ダメージと彼からの物理ダメージを考えると、
着て欲しくはない。

しかし、貰い物を使わないと言うのは少し失礼だろう。

それを考えると、ヴァルスの行動は最善の方法だったのかもしれない。

裕璃がピンクのエプロンを見ながらそんなことを考えた。

「…でも、こんなものをゼロに送る人って一体…。」

裕璃が心底不思議に思って聞いてみると、

「そのうち会えると思うぞ。」

と、ヴァルスは裕璃に皿を手渡しながら言った。



「ご馳走さまでした。」

裕璃は目の前の自分の手で既に空にしてしまった皿に向かって手を合わせて、言った。

ヴァルスはそんな裕璃の様子を微笑みながら見ている。

美味しそうにご飯を食べてくれたのが、嬉しかったのだろう。

裕璃はそんな彼の視線に少々照れながら、いそいそと食器を片付ける。

今、このダイニングを兼ねたキッチンには裕璃とヴァルスしかいない。

ゼロは既に食べ終わっていて、裕璃の知らないどこかへ行ってしまった。

修司は、そんなゼロにまたもや使われて、買出し中である。

一体なんで毎日そんなに物が必要なのかと、裕璃にとっては不思議であった。

「じゃあ、片付けちゃいますね。」

自分が食べた食器を持ちながら言うと、

「私も手伝おう。」

と、ヴァルスは椅子から立ち上がる。

裕璃はその様子にあわてた。

「あ、いいですよ! 私がやりますからっ!」

ここに来てから、殆ど裕璃は家事をしていない。

やろうと思ってはいるのだが、いつの間にかヴァルスがこなしてしまっていて、やることが無くなってしまうのだ。

自分はお世話になっている身なのに、何もしないのは心苦しい。

だから、せめて食器の後片付けくらい自分にやらせて欲しかったのだ。

「…しかし。」

確かに彼にも裕璃の気持ちが少しも分からないわけではなかった。

しかし、ヴァルスとしても来て三日の女の子に一人でやらせるのは何か心苦しかったのだ。

何か手伝ってやりたい、そう思った。

「大丈夫ですから、本当に。 ね?」

「だが。」

「…信用、できませんか?」

裕璃が悲しそうに聞くと、ヴァルスは焦ったように、

「そんなことは決してない。」

と、言い切る。

「じゃあ、任せてください。
 家事は結構得意なんですよ? 私。」

「いや…それは知っているが…。」

まだ同居して三日だが、その腕前は見たことがある。

料理の腕など、自分よりももしかしたら上かもしれない。

しかし、彼女は召喚されてまもなく、この生活事態にまだ慣れていないだろう。

そんな彼女を気遣っているから、彼女に何か任せるのをためらっているのだ。

ヴァルスがどうすべきか悩んでいると、


ドンドンッ


玄関のほうから、ドアをたたく音が聞こえる。

裕璃はこれが好機だと思って、ヴァルスにさらに言い募った。

「ほら、誰かお客様が来たようですし、ここは任せてください!」

ね、と笑いながら言うと、ヴァルスは苦笑いした。

裕璃が結構頑固者だということは、この三日で分かっていたから。

「…任せたぞ?」

「はい!」

裕璃は嬉しそうに、笑った。

ヴァルスはその笑顔を見ると、もっと前から任せておけばよかったのかもしれないなと苦笑する。

そして、彼はそのままドアへ向かい、キッチンから姿を消した。

裕璃はその姿を見送って、

「…よし!」

と、気合を入れてから腕まくりをする。

まずテーブルの上にまだ載っていた皿の類を流しへと片付ける。

そして流しの近くにあるボタンのようなものを押して、水を出す。

「…いつも思うけど…これどうなってるんだろう…?」

と、捻って水を調節するものでもないのに何故か適量の水が出せる蛇口とそのボタンをしげしげと見つめる。

しかしまぁ多分魔法の力とかを使っているのだろうから、
自分には分からないんだろうなぁと思いながら彼女は洗い物を続けた。

すると、今度は何か玄関先で怒鳴るような声が聞こえてくる。

「…?」

裕璃は不審に思いながらも洗い物を続ける。

すると、今度は壁を叩くような音が聞こえてきた。

「…何だろう?」

裕璃はさすがにこれは危険なのではないかと思って、最後の洗い物を拭き終わるとその場を後にする。

ダイニングキッチンから玄関は一番近いので、裕璃はとりあえず廊下から顔を出してみた。

すると、ヴァルスが先ほど来た客人となにやら話し込んでいるようだった。

裕璃はヴァルスが何か言いがかりでもつけられているのかと思って、とりあえず二人に近づく。

「あの…どうかしたんですか?」

「ん?」

「ユーリ。」

二人は少々びっくりしたように裕璃の方へと向いた。

裕璃はその視線にちょっと不思議に思いながらも、ヴァルスの助けになろうと彼のそばに寄る。

「…あれ?」

しかし、そこにいた人物は裕璃の予想していたタイプとはまったく異なっていた。

年のころは、三十代後半という位だろう。

この家は土足式であるので

少しくすんだ色の癖のある金の髪の毛を長くしており、頭にはバンダナのような被り物を被っている。

瞳の色は土のような茶色で、意志の強さとやさしさが見え隠れしていた。

着ているものはワインレッドの上着とスカートで、その上からエプロンをつけている。

…そう、スカートである。

そこにいたのは、紛れもなく女性だった。

「…なんだい、この子は?」

その女性が裕璃を上から下までちらりと見る。

裕璃はその視線を受けて、

「裕璃。ユーリ=トージョーです! 初めまして!!」

と、元気よく挨拶をした。

女性はそんな裕璃に微笑みかけながら、

「そうかいそうかい。」

と、頷いている。

裕璃はちょっと拍子抜けした。

あれだけ壁に音が響くほど叩いていて、あれだけ盛大に怒鳴っていたからどんな乱暴者が来たのかと思っていたのだ。

それなのに、いたのは男勝りのようだがやさしそうな女性で、黒メガネで黒服な人を想像していた裕璃としては予想外だ。

裕璃はそこで、自分は名乗ったのに相手のことを聞いていないことに気づいて、

「…あの。」

「ん?」

「どちら様…ですか?」

と、聞いてみる。

裕璃が言った言葉に、女性は一瞬驚いたような顔になったが、すぐに大笑いしだした。

裕璃はなぜ突然笑い出したか分からず、彼女を不思議そうに見つめる。

「ははははッ! 悪かったねぇ、名乗りもしないで。
 私はエスメラルダってんだ!」

「例のエプロンを貰った人だ。」

ヴァルスがこっそりと耳打ちすると、裕璃は驚いたような顔をした。

この人物と例のフリフリエプロンはどうしても結びつかなかったのだろう。

そんな裕璃の表情に気がついていないのか、彼女はさらに続けた。

「隣にある食堂の女将だよ。」

「…食堂?」

裕璃がそんなものがあったのかと思ってヴァルスを見ると、彼は苦笑していた。

女性、エスメラルダはそんな彼女達の行動を不思議に思う。

「? ここに来る前に見ただろう?」

裕璃はそんな彼女に苦笑しながら、

「えぇっと…私、外に出たことありませんから…。」

と言う。

すると彼女はますます不思議そうな顔をするが、何かに気づいたのか突然裕璃に詰め寄った。

「もしかして、あんたあの坊やと同じ口かい?!」

「え…坊や?」

裕璃が誰のことを言っているのか分からないでいると、

「シュウのことだ。 ユーリ。」

と、ヴァルスが真面目な顔のまま言う。

「そうなんですか。
 それと同じ口ってどういう…。」

「だから!!」

エスメラルダは怒った様に裕璃に問いただした。

「あの坊やと同じ方法で同じ所から来たのかって聞いてんだよ! 私は!」

その鬼気迫る様子に、裕璃は

「は…はい!」

と、勢いよく答えてしまう。

次に女性はヴァルスの方を向くと、彼は困ったように微笑んだ。

そんなヴァルスの様子に、女性はかんかんに怒り出す。

「まったく、だからやめろって言ってんだよ、私は!
 ゼロ! 出てきなっ!」

エスメラルダはそう言いながら、壁をガンガンたたき出した。

「え…?! あの、壁…。」

そんな彼女に裕璃は戸惑うばかりで、何もできずにいると、

「…いつものことだ。 気にするな。」

と、ヴァルスが余裕の表情で裕璃に言う。

裕璃は何でヴァルスが焦らないのか不思議に思いながらも、彼がそういうなら大丈夫だろうと彼女の様子を見守る。

すると突然、叩いていた壁の一番近くのドアが開いた。

しかも叩きつけるように開いたので、裕璃はびっくりして一歩下がってしまう。

中から出てきたのは、ゼロだった。

「…うっせぇ、ババア。」

ゼロは今までのことがどうやらとても煩かったらしく、かなり怒っていた。

が、それに負けずと劣らず、エスメラルダも怒っていた。

「まったくあんたは何してんだい?! こんな子まで連れ込んでっ!!」

「テメェには関係ねーだろ。」

「私には関係なくてもこの子にとっては迷惑だろう?!」

そう言って、エスメラルダは裕璃の腕を引っ張った。

「え…?!」

「大体、こんな年端も行かない子を巻き込んで…かわいそうにねぇ…。」

エスメラルダは裕璃の頭を撫でながら言った。

裕璃は突然のことにびっくりして、何も言えない。

ゼロはそんな彼女達を睨みつけた。

「…話はそれだけか?」

「そんな訳ないだろう?!」

エスメラルダもキッとゼロを睨みつける。

「大体、外に連れて行ってやってもないそうじゃないか!」

「…あ。」

「…そういえば。」

彼女の言葉にようやく気がついたのか、彼らは間の抜けたような声を上げた。

そんな二人の様子に、彼女はため息を吐く。

「何やってんだい! 女の子は色々と物入りだってのに…。」

と、エスメラルダが二人に一括すると、

「…すまない、ユーリ。」

と、ヴァルスが裕璃にあやまってくる。

裕璃はそんな彼に戸惑った。

「いえ、別にそんなに困ってませんし…。」

「だが、貸したものだけでは着るものとかに困っただろう?」

「…いや、まぁ…。」

確かに、少々困ってはいた。

上着などは他の人に借りればいいのだが、問題は下着の類である。

これはさすがに他の人に借りるわけにはいかずに、どうしようかと思っていたのだ。

「まったく、あんた達は変なところで抜けているんだから…。」

ブツブツ言いながら、彼女は懐から財布を取り出して中身を数える。

一瞬難しげな顔をするが、

「オイ。」

と、ゼロに声をかけられて、顔を上げる。

「…なんだい?」

エスメラルダがそう聞くと、ゼロは彼女に何かを投げてよこす。

裕璃は一瞬なんだか分からなかったが、どうやら財布のようだ。

「それを使え。」

そう言って、ゼロは出てきた扉の奥へと再び消えていった。

エスメラルダは一瞬驚いたような顔つきになるが、やがて満足そうに微笑み、

「ユーリ、だったね?」

「あ、はい。」

「行くよ!!」

そう言って、エスメラルダは裕璃の手を掴んで外へと出て行ってしまう。

「え?!」

裕璃は突然のことで何がなんだか分からないでいると、ヴァルスが、

「気をつけてな。」

と、微笑んで自分に手を振っているのが玄関を出る直前に見えた。

それで、裕璃はとりあえずどこかにつれていかれることが分かり、
話の流れから考えると、どうやら買い物なのだろうと思い当たる。

ヴァルスも何も言わなかったし、ゼロも何か協力的だった。

それを考えると、心配はなさそうである。

なにより、この女性は悪い人ではなさそうだから。

もう少し、この人のことを知っておきたいから。

仲良くできそうな気がするから。

そう思って、黙ってついてゆくことにした。





 BACK  TOP  NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送