第二章
2 風



裕璃は、唖然としていた。

目の前に繰り広げられる光景が、とてつもないものだったから。

確かに、彼女の世界にもこれと似たようなことはある。

だけど裕璃はその場面には一度も踏み込んだことがなかった。

理由はごく簡単。

その場に多く生息している人々に自分が混ざっても、勝てる自信がなかったのである。

それだけ、その場にいる女性達はとてもパワフルで…強暴だ。

――――ここまでいえば、分かる人もいるだろう。

裕璃が今いる場所、それは女性にとっての聖地・バーゲンセール会場だったのだ。

「ちょっと、それはアタシが先に取ったんだよ! 放しな!!」

と、周りの奥様方に負けずにあたりを物色しているのは、裕璃を連れ出した本人であるエスメラルダ=フィルフィーである。

彼女は自分の物ではなく、若い子向けの服をあさってた。

自分で着るのではなく、裕璃用のものを選んでいるのだ。

ではなぜ彼女が裕璃の服を選んでいるのだろうか。

実は裕璃は買い物、というか品物を見るのが好きで、よく見て回っては小物などを自分の家に買って帰ることがあった。

ゆっくりとじっくりと商品を選ぶのことが彼女は好きだったのだ。。

だから、ゆっくりと品物を見れないバーゲン会場なんて足を踏み入れたことがなかったのである。

ただでさえおっとりしているというのに、こんな忙しない光景に今まで一度も踏み込んだことが無い裕璃。

当然足を踏み入れる勇気も無く、見ているだけで精一杯だ。

そんな行動に黙っていられなくなったのがエスメラルダだった。

困っている裕璃を見て助けたくなったというか、
早くしなくてはいい物は根こそぎかっぱらわれてしまうという危機感に駆られたのか、
どちらだか分からないが、代わりに突入することを買って出たという訳である。

「えぇっと…。」

裕璃はその光景を見ながら、手を頭に当てた。

自分の物を買うのだから、自分もあそこに行った方がいいのかもしれない。

しかし、いかんせんあのテンションにはついていけないような気がひしひしとしているのだ。

そもそも、バーゲン会場とは安く買い叩けるがハズレ商品も数多く、中にいる人々はハズレとアタリを見分ける。

そんなことを大人数で集まってアタリ賞品で自分の好みに合う品物を探すわけだから、相当の体力と根性と、そしてある種の図太さが必要だろう。

どちらかといったらおとなしい部類に入る裕璃も多少は持ち合わせているものの、
この大熱狂の輪に入っていけるだけのスキルなんて持ち合わせていないことを自分でも分かっている。

だったら買い物はエスメラルダに任せて自分は彼女の質問に受け答えしていたほうが周りの邪魔にならないだろうと、
彼女は近くの壁に吸い付くように寄ってその光景を観戦しているというわけだ。

「ユーリっ! これとかどうだい?!」

突然かけられた言葉に、裕璃はあわててその声の主がどこにいるのか探す。

観戦しているといっても人が入り乱れているバーゲンの会場辺りでは、一人一人を見分けるのも困難である。

キョロキョロとその声の主を探すと、ひとつのワンピースが握りながら振られている一本の手を見つけた。

人ごみで手以外はまったく見えていないが、おそらくあれがエスメラルダだろうと裕璃は思い、

「あ、はい! 大丈夫です!!」

と、なるべく大きな声で言うと、彼女は分かったのか手を下げてまたもや参戦したようだ。

裕璃はなんでそんな元気があるのだろうかと思いながら、自分にもっと根性があったらよかったのだろうと思ってため息をついた。

同時にこういう状況に慣れた愛璃なら多分すごい収穫を得てきそうだ、と思ってすぐに笑みがこぼれたけれど。



「…買いすぎちまったかねぇ。」

「…そうですねぇ…。」

ははは、と乾いた笑みを浮かべる裕璃。

バーゲンが終わった後、裕璃とエスメラルダはまたもや他の店に買い物に出かけた。

自分が買ったのでは完全に趣味が反映されていないだろうというエスメラルダの提案したのだ。

裕璃もそれに同意し買い物をし続けていたのだが、それが仇となった。

必要なものを買い揃えていった裕璃だったが、エスメラルダがあれもこれもと勧めてくるものも何点も買い、
気がついたら紙袋にして十個分の荷物になっていたのだ。

根性で何とか近所にあった公園のような所のベンチまで持ってきたのだが、さすがに女の腕でこれ以上は無理である。

「それにしても…。」

裕璃は自分たちの買い物袋を見ながら思った。

楽しくてついついこんなに買ってしまったが、果たしてよかったのかと。

確かに彼女達が初めに買い物したのはバーゲンでだったが、その後は普通のお店で買い物をしていた。

その合計金額は一体どれくらいなのだろうか。

財布を握っていたのはエスメラルダであるが、かなりの数のお札が消えていくのを裕璃は目にしている。

この世界の通貨単位の大きさはいまいち分かっていないが、自分の世界で考えると恐ろしい値段であるとは予想がつく。

そんな値段を一括で、尚且つ人のお金で払ってしまったのである。

居候である自分がこんなに買い込んでしまってよかったのかと、そう思って頭が痛かった。

「どうしたんだい?」

と、心配そうに声をかけてくるエスメラルダに裕璃は苦笑いを浮かべながら、

「いえ…、こんなに買ってしまってよかったのかなぁと思いまして。」

自分が今まで考えていたことを彼女に打ち明ける。

エスメラルダは裕璃が始め何を言ったのか分からず、きょとんと彼女を見つめるが、その言葉の真意を読み取って豪快に笑って見せた。

「ハハハハッ! アンタ、ゼロにどやされるのが怖いのかい?!」

「うぅ…そうです。」

裕璃は財布の持ち主の名前を出されて、ますます気が重くなりながら答えた。

まだ三日くらいほどしか一緒に暮らしていないが、ゼロの性格は徐々に分かってきた。

殆どのことに無関心で個人主義者、そのうえ怒りっぽくて逆らったら容赦はない。

それが修司とゼロのやり取りを見ていての裕璃の人物感想である。

そんな人の財布から、例え相手が放り投げてよこしたからといってこれだけの買い物料金をすべて出してしまったのだ。

怒られてるのは目に見えている、裕璃はそう思ったのである。

「だいじょうぶだって、意外に金持ってんだから。」

「えええ?」

裕璃は意外だという目でエスメラルダを見る。

彼はずっと家にいてどこかに閉じこもっており、仕事をしている姿なんて見たことがなかったからである。

だから、いまいちお金を持っているというイメージがなかったが、そういえば彼とヴァルスが住んでいる家は三階建ての立派な家であるということ思い出す。

しかもその中には自分と修司という居候までいるのだ。

そう考えると、家に閉じこもっている間に仕事をしているのかと裕璃は考えた。

「しかもあんまり金に頓着しない奴だからねえ…、怒らないんじゃないかい?」

「…本当ですか?」

裕璃は疑わしげにエスメラルダを見る。

先ほども述べたように、ゼロは怒りっぽい。

それに加え、いつもどこかに行ってしまうため彼が何をしているのか彼女は知らないのだ。

殆ど白衣を着ているから何かの研究をしているのだろうとは思っているが、それ以外は何も知らない。

そんな彼がとても働いているようには思えなかったのである。

そんな彼女の表情を興味深げに見つめるエスメラルダは、口元に笑みを浮かべたまま裕璃に聞く。

「苦手かい? あの男が。」

「え?!」

突然思っても見なかった質問に、思わず大きく素っ頓狂な声を上げてしまい、あわてて口を押えながら辺りをキョロキョロと見た。

しかしその声は隣にいるエスメラルダしか聞いていなかったらしく、ほっと息を吐く。

「えっと…。」

聞かれたことを、裕璃は考えてみる。

確かに、とても怒りっぽいのでこういう時は怖いだろう。

実際に目の前でお使いを頼まれた修司が怒られているのを何度も目撃している。

だが、別に怒ってばかりと言うわけではなかった。

本当にごくごくたまにではあるが、口元だけで笑うのを目撃したこともある。

だからだろうか、

「苦手…ってこともないと思いますよ?」

そんな風に彼女は思っていた。

エスメラルダはその答えにますます笑みを深めた。

「そうかいそうかい!」

そう言って、彼女は裕璃の肩をバンバン叩いた。

そのおかげで前のめりに倒れそうになってしまうが、何とか踏みとどまる。

「あの男あんな性格だから嫌いなんじゃないかと思ったんだよ。」

と、肩をすくめて言ってみせる。

「あんな性格って…。」

口に出して言ってしまっていいのだろうか、と裕璃は思った。

しかしこの人ならそれも普通のことなんだろうと思えて、クスッと笑ってしまう。

「ゼロは…というかヴァルスもなんだけど、不器用だからねぇ。」

「…?」

裕璃はエスメラルダのその言葉に耳を疑った。

意味が分からなかったと言うのが正しいだろう。

手先が不器用だとか、そんなことを言っているのではないことはさすがに分かる。

だが、基本的に人当たりがよくやさしいヴァルスと自分に正直なゼロのどこが不器用なのか彼女には分からなかったのだ。

「分からないかい?」

と聞くエスメラルダに、裕璃はこっくりとうなずいた。

そんな裕璃を彼女は苦笑しながら見つめて、

「ま、そのうちわかるかるだろうさ…と。」

と言いながら立ち上がる。

「さすがに二人じゃこの荷物は無理だろうから、誰か呼んでくることにするよ。」

「それなら私が行きますっ!」

買い物をしたのは自分だから、そういう仕事は自分がやるべきだと思ったのだ。

しかし、エスメラルダはそんな裕璃に苦笑いを浮かべながら言う。

「…アンタにここから一人で帰る自信、あるかい?」

「…無いです。」

家からここまではそんなに遠い道のりではなかった。

帰ろうと思えば帰れるのかもしれない。

しかし、本当に絶対に帰れるのかともいえないのだ。

何せ初めて来た場所であるどころか、この世界に来て彼らの家の敷地内から出たのも初めてだったから。

「だろう? だったらおとなしく待ってたほうが得策ってもんじゃないかい?」

「確かに、そうですね。
 ご迷惑かけます。」

と言いながらすまなそうに笑う裕璃に、

「いいんだよ、そもそも連れ出したのは私なんだからね。」

エスメラルダは彼女にとても似合う笑みを浮かべながら、荷物を三つ持ってその場を後にした。



「…さて。」

どうしようか、と裕璃は思った。

待っていろと言われた限りは待っているが、ただボーっとしているのも暇である。

だからと言っても買ったものは身の回りのものばかりで、暇を潰せそうなものも無い。

仕方なく彼女は空を見上げた。

アクセントに雲がいくつか浮いた空は、青かった。

その青はどこまでもどこまでも続いているように見えて、果てが無いように思えた。

元の世界の空と、なんら変わりないように思えた。

「…けど、この空とあの空は繋がってないんだよね…。」

裕璃は少し悲しそうに呟く。

確かに、そこに広がっていたのは空という点では一緒。

見た目も殆ど変わらない空は、似ているようで別のもの。

慣れ親しんだものとは違うのだ。

そう思いながらも、裕璃は空を見続ける。

見上げればあるという点ではそれは一緒で、しかも同じ色。

共通点があるから、見ることで安心できたのだ。

裕璃はホッと息を吐いた。

このまま空を見上げつつけるのも、いいのかもしれない。

裕璃が思ったその瞬間、

「ね〜、ちょっといい?」

突然かけられた声に、裕璃はビクッと肩を震わせた。

空ばかり見ていて、他の事に気を配っていなかったためである。

あわてて横を向いてみると、そこには男が二人いた。

裕璃はなぜ自分が声をかけられたのか分からなかったので、

「何ですか?」

と、とりあえず二人に聞いてみることにした。

「今、一人だろ?」

「ヒマならオレ達と一緒に遊ばない?」

と、ニコニコと軽薄そうな笑顔で聞いてくる二人。

お決まりの台詞に、さすがに裕璃も今の状況を理解した。

「(…ナンパだ…。)」

空ばかり見つめているせいでどっかのおのぼりさんかよっぽど鈍いかのどちらかに見られたのだろうか。

「(どちらにしても、あまり気持ちがいいものではないなぁ。)」

戸惑いながら、裕璃は答える。

「人と待ち合わせしてますんで…。」

しかし、それくらいで引き下がるほど男は諦めがよくなかった。

「そんなこと言わないでさ〜。」

「大分待たされてんだろ? だったらいいじゃん。」

そう言いながら、片方は裕璃の左側に腰をおろす。

裕璃はその瞬間少し右側にずれるが、それが逆に男を詰め寄らせる原因となってしまった。

「荷物なら俺等が運んでやるから…な?」

ベンチに腰を下ろしてきた男は、そのまま手を裕璃の肩にまわす。

「ちょ…離してくださいっ!」

裕璃はその手に嫌悪感を持ち、隣の男に要求する。

しかし男はにやにや笑ったまま、

「え〜? いいじゃん、堅いこと言わずに。」

と言って離そうとしない。

裕璃はどうしたらこの状況を打開できるか、考えた。

そしてやはりどうにかして逃げ出すしかないだろうと思いつく。

だが、その方法は分からなかった。

なにせ男達は彼女の横と目の前に陣取っていて、逃げ場が無い。

しかも自分には荷物があった。

こんな状況だったら置いていくべきなのかもしれないが、これは他人のお金で買ってもらったものである。

義理堅い裕璃はとなるべくそんなことはしたくなかった。

とりあえず、逃げるには気をそらさせる必要がある。

裕璃はそう思い、実行に移そうとした。

その瞬間 ――――――

「そこまでにしたら? お兄さん達。」

その声の方に男達は視線を向ける。

特に隣に座っている男なんて、相当痛かったのか睨みつけるように目の前を見ていた。

しかし、その表情は驚いた後にすぐに嘲りに変わる。

裕璃もなぜそんな顔をするのかと思ったし、何より気になったのでその人物のほうへと視線を向ける。

瞬間、裕璃は驚きの表情を浮かべた。

手を後ろに組んで立っていたのは、自分より年下の少年だったから。

一番目に付くのは銀色の髪に蒼色の瞳。

ただでさえきれいな組み合わせであるのに、その人物は女の子に見紛うほど整った顔立ちをしている。

声もまだ大人のそれとは違い、結構高い。

しかし、ちょっとしたしぐさは男の子のものだった。

ボーイッシュな女の子という線もあるが、裕璃は男の子なのではないかと思った。

実際、

「なんだ、ボウズ? あっち行けよ。」

と、目の前に立っている男もその少年を男性と判断している。

すこしイライラしている男性に向かって、少年は微笑を浮かべながらこう言った。

「なんで?」

そんな少年の様子に、さらにムカついてきたのか、

「テメェには関係ねぇことだろう。」

と、ますます口調が悪くなる男。

「そうそう、ボクちゃんはどっか行ってようね〜。」

隣の男は、明らかにからかいを交えて少年に言う。

表情は余裕そのもので、おそらくそのうちどこかに行くと思ったのだろう。

しかし、少年はその場を動かない。

少年のその様子に、男は眉を顰めるも、

「どうしたのかな? あ、もしかして迷子〜?」

でもお兄さん忙しいから案内できないよ、と次の瞬間には人の悪い笑みを浮かべていた。

「迷子じゃないよ。 お姉さんを助けに来たの。」

少年は少しムッとしながら男に答える。

自分を子ども扱いしていることが癇に障ったのだろう。

しかし男は気にせずそんな少年に下衆な笑みを浮かべながら、

「お姉さんなら俺たちが相手してるから、どっか行っていいぜ〜?」

と言って立ち上がり、隣に座っていた男は少年の方へと歩き出した。

「ん〜…。」

少年は裕璃達から視線を外し、天を仰いだ。

どうやら何か考えているみたいだ。

やがて何か考え付いたのか、男達の顔を見てにっこりと笑う。

「でも、僕お姉さんのナイトだから。」

そんな彼の台詞に、男達はおろか裕璃も唖然として少年を見る。

しかし、男は彼の台詞がだんだんおかしく感じてきたのか、

「…ク…クククッ…、
 ハッハッハッハッ!! 」

と笑ってしまう。

もう一人、裕璃の目の前に立っている男も同感らしく、声を殺してはいるが笑っていた。

少年はそんな二人の様子に少し顔を顰めた。

「お前がナイト?! プププッ!! ゴッコ遊びは他でやろうなボウズッ!!」

そう言って、男は少年の頭をぽんぽん叩いた。

その瞬間 ―――――――


ガンッ!!


「ッ痛テェ!!」

突然、男は顎を押えながら叫び声をあげた。

そしてそのまま崩れ落ちて、跪いてしまう。

「えっ…。」

裕璃は驚きの声を上げた。

少年が男の陰に隠れていたため、何が起こったのかわからなかったのである。

分かるのは、今少年が右手で持っている鞘に入った短剣で何かをしたのではないかという推測だけだった。

「ゴッコじゃないよ。 本気。」

少年はムッとしながら言い放つ。

目の前にいた男はそんな少年の言葉に我に返り、

「…テメェっ!!」

と言いながら少年に向かって走り出す。

そのまま男は、少年に向かって拳を放った。

当たる―――――

そう思って、裕璃は思わず目をつぶる。

少年が殴られるシーンなんて見たくなかったから。

しかし、いくら目をつぶっていても殴られたような音も何も聞こえてこない。

裕璃は不思議に思い、そっと目をあけてみる。

その瞬間、彼女の目は見開かれた。

裕璃の目線の先には、殴りかかった男以外の姿がなかったのである。

「お兄さんも侮ってるでしょ?」

「?!」

突然隣から聞こえてきた声に、裕璃は驚く。

みるとそこにいたのは先ほど少し離れた場所にいた少年で、いつの間にか短剣はベルトに押し込まれていて、
代わりに裕璃の荷物を両手にに二つずつ持ち上げている。

「な?!」

男も少年がなぜそこにいるのか分からなかったのか、驚愕する。

「そんなの、僕に当たらないよ?」

そう言いながら、彼は裕璃に視線で何かを告げる。

突然のことに混乱していた裕璃は何のことだか分からなかった。

少年はそのことにも気がついたのか、

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。」

と言って、にっこりと笑った。

裕璃はその表情で少しだけ緊張が解けた。

どうしてだかは分からないが、きっと笑顔に安心したのだろう。

少年はそのことを知ってか知らずか、裕璃に自分が手にした荷物を差し出す。

裕璃はどうしてそんなことをするのか分からなかったが、
持てと言われているんだろうと解釈して、それらを受け取る。

どうやら正解だったらしく少年は満足そうに微笑み、残った三つの荷物を左手に抱えた。

「何してんだ? てめえ!!」

声を荒げて言ったのは、先ほどまで地面にひざをついていた男のほうだった。

しかしそんな男の様子にも、少年は微笑んで言う。

「逃げる準備。」

その態度と台詞がますます男達の気に障ってしまう。

「逃げれると思ってんのか?!」

男は言いながら、ベルトのほうからナイフを取り出す。

もう一人はポケットからナックルを取り出して、臨戦態勢である。

少年は彼等を見つめるだけ。

裕璃はそんな様子に不安になる。

果たしてこのままで大丈夫なのかと。

すると突然、少年は自分の裕璃を後ろの方に追いやった。

その行動はまるで彼女を庇う様で、裕璃は驚く。

自分より年下の少年にそんなことをされるなんて思わなかったから。

「…へっ! いつまでもナイト気取りかよ!!」

そういいながら、ナイフを持ったほうが自分たちに切りかかってきた。

「(…ッ!!)」

裕璃は声にならない叫び声をあげる。

「闇よ包めッ!!」

少年は、右手を男達に向けて突き出し、大声をあげる。

―――――― その瞬間、辺りは黒い何かに包まれた。

「な…何だ?!」

「どうなっていやがる?!」

男達は突然あたり一面が黒く染まり、驚きの声を上げた。

裕璃もそんな声は届いていたが、自分の周りもその黒さで囲まれている。

しかも普通の夜の暗さだったら多少目が利くが、この中では視界はゼロ。

まったく何も見えずに、裕璃は辺りをキョロキョロ見回した。

その時、何かに触れた感覚を右手に覚える。

裕璃は不思議に思ってその方向に手を伸ばすと、今度はその感触が手を握ってきた。

「お姉さん、コッチ!!」

すぐ近くで聞こえる少年の声。

とすると、手を掴んだのはこの少年なのだろう。

しかし視界が無いこの中では、その姿さえも分からなかった。

「こっちって…。」

戸惑いながら裕璃は辺りを見回す。

この空間の中では声が反響してしまっているのか、どこから聞こえてくるのかいまいち分からなかったのだ。

どうしようかと裕璃が思っていると、次の瞬間手が引っ張られる。

初めは驚いたが、手の大きさから少年のものではないかと裕璃には推測できた。

その手の主はどこかに向かって歩き出しているのか、ますます引っ張る力を強くする。

裕璃は何も見えないということで臆病になっていたが、

「(…ここでこうしてても、何も変わらないよねっ!)」

と思って、素直にその感覚に従って歩き出した。

すると、その引っ張られる感覚は徐々に強くなり、同時に裕璃の歩くスピードも早くなる。

手の主が歩むスピードを速めているのであろう。

早歩きにだった歩きは、徐々に走る速度になり、

――――― そして、闇を抜けた。

その瞬間、裕璃は思わず目をつぶってしまう。

今まで闇の中にいたせいで、日の光がまぶしく感じたのである。

しかし、走るスピードは変わらない。

それどころか、少しずつ早くなっていった。

やがて、自分がいつも走っている様な速度になり、ようやく裕璃の目が慣れてくる。

でもまだ両方の目は開けられなくて、片目だけでもと思い薄く開いた

彼女の目に映ったもの。

それは、風のようにますますスピードを増して走る少年の後姿だった―――――――





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