第二章
 5 彼らは走った



修司はこの世界に来て、早三ヶ月が経っていた。

初めにこの世界に来たときは、戸惑うことが沢山有り、色々悩むこともあった。

しかし徐々にその生活にも慣れていき、このエルトリアという街にも慣れた。

今ではすっかりこの国の住人と言っても過言ではないほど、彼は街中を歩き回っていたから。

戸惑いながら歩いていた時なんてもう二ヶ月も前の話であるそんな歩きなれた道を、彼は買い物へ行くために歩いていた。

しかし、そんな歩きなれた道であっても、今日はとても新鮮だった。

見慣れた街も、道も、家々も、すべてが面白く感じることができる。

今日はたった一つ、いつもと相違点があったから。

修司はそのたった一つの、いや大きな一つの相違点へと視線を向ける。

そこには自分と同じペースで歩く東条裕璃の姿があった。

そう、彼は今裕璃と一緒に街へ買い物をしに出かけているのである。

それも二人っきりで。

彼にとって、裕璃と出かけることはとても喜ばしいことだったのである。

それどころか、彼は小さくガッツポーズをとり、

「(…ゼロさん…、今回だけはありがとうッ!!)」

と心の中で叫んでしまうほど浮かれていた。

そんなに浮かれているのにも、実は訳がある。

異性に対して消極的の上高校は男子校だった修司は、実は今まで女の子と出かけた事なんて無かったのだ。

つまり、例え枕詞に『ゼロからのお遣い』というものがついても、彼にとってはこれが初デートなのである。

しかも相手は彼が今一番気になっている相手、裕璃である。

修司にとっては初デートとしては最高のセッティングと言えるだろう。

彼は嬉しさのあまり、天を仰いでもう一度ゼロにお礼を言ったのだった。

一方、裕璃はそんな修司を心配そうに見つめていた。

何故彼は天を見上げているのだろうかと。

今日の天気は雲ひとつ見当たらない快晴で、雨雲も気にする必要がない。

この世界には飛行機も無いと言うことだし、空に浮いているものなんて鳥以外無いはずだ。

それなのに、何故彼は空を見上げているのだろう。

しかも、涙目で。

裕璃はそんな彼が気になったのだ。

「…修司君?」

裕璃が恐る恐る、修司に声を掛ける。

すると修司ははっとしたように我に返り、裕璃の方へ顔を向け、

「何? 裕璃ちゃん。」

と、彼女の想像とは正反対の笑顔で返事をする。

しかし、それで裕璃の心配が消えるわけではなかった。

どうやら具合が悪いわけではないらしいが、無理をしているという可能性もあるのだから。

「えっと…ごめんね、突然つき合わせて…。何か用事でもあった?」

裕璃はすまなそうに修司に聞く。

何か用事かやりたいことがあって、今考え込んでいたのかもしれない。

彼女は彼の行動をそう取ったのだ。

しかし、それは見当はずれな問いである。

彼は裕璃と出かけられるということだけで浮かれていたのだから。

修司は何故裕璃がそんなことを言い出したのだろうと考えながら、

「別に大丈夫だよ。 俺も暇だったし。」

と、実に晴れやかな笑顔で裕璃に言う。

裕璃と出かけられるということだけで、修司はいつも以上に懐が深くなっていた。

だからいつもなら少しは疑問に思う裕璃の問いの真意もまったく気にならなくなっているのだ。

ここまでくれば、ある意味大物である。

裕璃は嬉しそうに微笑む修司をじっと見つめる。

そんな風に笑う彼からは、とても遠慮しているようには見えない。

自分の取り越し苦労なのだろうか、と彼から視線をはずして考え、

「(…もしかしてバードウォッチングが趣味なのかな。)」

と、彼女は一人で見当違いではあるが納得した。

しかし修司も修司で裕璃と同時期に視線を彼女から外し、

「(俺の都合を考えてくれるなんて…、やっぱり裕璃ちゃんてやさしいなぁ…。)」

と、実に見当違いのことを思っていたのでお互い様ではある。

二人は自分の中で相手の考えの推測が終わったあと、再び視線を向ける。

すると当たり前だが互いの視線がぶつかり、そのままにっこりと笑いあう。

その瞬間、彼はぴたりと歩むのをやめた。

「あ…そういえば…。」

突然立ち止まり考え込むような表情を浮かべる修司を、裕璃も立ち止まり不思議そうに見つめる。

「何?」

「今日は…何を買えばいいのかな?」

そう、彼はまだ今日の買い物の目的を聞いていなかったのだ。

普通なら彼女に誘われた時点で聞いておくべきことであるのに、忘れていたのである。

どれだけ彼が浮かれていたのか、よく分かる。

裕璃はそう言われて、はっと気がつく。

そういえば、文字が読めなかったから修司を誘えとゼロに言われていたのだったと。

それなのにいつまでも彼のメモを見せないなんて、意味が無いではないかと裕璃は思ったのだ。

彼女は少し顔を赤らめ、

「ご…ごめんね! これが買い物のメモなんだけれど…。」

と、修司に差し出す。

修司はそのメモを笑いながら受け取り、折りたたんであったそれをペラッとめくる。

しかし、その中身は彼の予想に反した文字が並んでいた。

「…? えっと…。」

いつものゼロならお遣いメモは必要なものをいくつか、箇条書きにしているはずなのである。

専門的な物も多いが、この世界に慣れてきた修司にはとても読み易いものだった。

しかし、今日は走り書きで一文、記しているだけ。

一体何が書いてあるのか、彼には一瞬分からなかったのだ。

彼はまるで英語を訳すかのように、その文字列を一つ一つ解読して行き ―――――

「――――― え?」

そして、彼の思考は停止した。

「…修司君?」

裕璃はそんな彼に不思議そうに声をかける。

一体メモにはどんなことが書いてあるのか、とても気になったのである。

修司の驚きようから考えると、結構な無理難題が書いてあるのではないかと思ったのである。

彼は彼女の声に気づき、ゆっくりと裕璃に視線を向けて笑いかける。

「あはは、大丈夫。 とっても簡単なことだから。」

裕璃はそんな修司に、思わず首を傾げた。

ならば何故彼は突然動きを止めたのだろうと。

「…どんなことが書いてあったの?」

裕璃が恐る恐る聞くと、修司はメモを見せながら苦笑いを浮かべて答えた。

「『適当に夕食の材料を買って来い。』…だってさ。」

「…え?」

裕璃は思わず、目を点にした。



「…ゼロがこんなこと頼むなんて…意外…。」

裕璃は驚きを隠さずに、そう言った。

彼女は頼まれたものはもっと研究所やら何か難しいものだと思っていたのである。

まさかそんな家庭的なものを買って来いというお達しが来るとは、彼女も思っていなかったのである。

修司もそれには賛成らしく、苦笑いを浮かべた。

「うん、俺もこんなこと頼まれるなんて思ってなかった。」

いつもは研究関係のものばっかりだったから、と修司は言う。

そんな彼は大きな紙袋が一つ抱えていた。

紙袋と言ってもパンやなにやら詰まっているので、それほど重くは無い。

一方、裕璃の手には何も握られてはいなかった。

今日一日、しかも夕食のみの買い物なので、紙袋一つ分で済んでしまったのである。

これなら、まとめて買ってしまったほうが楽である。

この位の気候だった、生物でない限り冷蔵庫の無いこの世界でも二・三日は持つだろう。

実際、家にも結構な量の食料が残っていた。

それなのに何故今日買い物するのか、彼女には意味が分からなかったのだ。

だが、修司曰く、

「…まぁ、ゼロさんって意味もなく俺に何か頼む時あるしね。」

と言うことらしいので、今回もそういうことなのではないだろうかと裕璃は勝手に解釈した。

それに、裕璃にとって買い物はとても楽しく感じられたから。

理由はこの際何でもいいかなぁ、とも思えとりあえずこの買い物を楽しんでいた。

「…で、次は何を買えばいいのかな?」

裕璃が彼の方を見ながら聞く。

「…ん〜…そうだなぁ…。」

すると修司は今まで買ったものをブツブツ唱えながら、指折り数えていく。

買い忘れが無いようにしようとしているのだろう。

裕璃はそんな修司が微笑ましくて、笑みを浮かべながら修司の方を向く。

すると修司もようやく数え終わったのか、丁度裕璃の方を向いていて、お互いの視線が重なり合ってしまった。

その瞬間、修司は思わず視線をそらした。

気になっている女の子と視線が合うなんて、彼にはとても恥ずかしいことだったのだろう。

「…?」

裕璃はそんな修司に不思議そうな視線を送る。

どうやら、どうして彼がそんな行動を取っているのか分かっていないようだ。

修司はそんな彼女に苦笑いを浮かべながら、

「…うん、もう無いかな?」

と、結果報告をする。

「それじゃあ、もう帰るだけ?」

と、裕璃が少し残念そうに聞く。

女の子は、自分が見につけるものや可愛いものを吟味して買い物を行う。

何も買わないウインドウショッピングなどを趣味に持っている人もいるくらいだ、買い物が好きという女の子が多いのだろう。

裕璃もその類にもれず、買い物が結構好きだった。

何も買わないにしても、見ることで目を楽しくしてくれるから。

元々散歩も大好きな裕璃は、歩きながら見ることも好きだったのである。

元の世界でも、今のようにご飯の買出しのときも楽しみながら行っていたのである。

しかし、その楽しい時間がもう終わってしまう。

そう思ったら、悲しくなってしまったのだ。

そんな残念そうな裕璃を、修司は微笑みながら見つめる。

「…じゃあ、もうちょっとぶらぶらしようよ。」

「…え?」

裕璃は驚きの表情で、彼の顔を見た。

まさかそんな提案をされるとは思っていなかったのである。

「…で…でも、遅くなるとまずいんじゃないの?」

裕璃が恐る恐る聞くと、

「大丈夫だよ少しだけなら、まだ日は高いし、夕飯の買出しだしね。」

後一時間くらいなら、余裕でしょ?

と、修司は笑いながら答えた。

裕璃はそんな彼の答えに少し考えながらも、

「…そうだね、ちょっとくらいなら大丈夫だよね!」

と、嬉しそうに微笑んだ。



それから先、彼らは出店を見て回った。

面白いものがあっては、修司がそれを指差しながら、

「あれ、面白くない?」

と言って、裕璃と共に笑ってみたり。

可愛いものを見つけては、裕璃がそこまで引っ張ってゆき、

「…買ってあげる?」

と聞く修司を、何回も悪いからと言って断ったり。

それでも断り切れずに幾つか買ってもらったりした。

その様子は、本当にデートの様だったが、行っている本人達はそんなことは気づいてはいなかった。

本当に二人で回るということが面白かったから、気づいている余裕が無かったのだ。

時にはお互いについてのことを話した。

日本のどの辺りに住んでいて、どんな学校に通っていたのか。

友人はどんな人たちで、どんな先生がいたのか。

そんな他愛の無い話題を、彼らは楽しんでいた。

「へ〜…修司君、剣道部なんだ…。」

裕璃が驚きながら聞くと、彼は苦笑いを浮かべた。

「…って言っても、三年なのに中堅だけどね。」

一生懸命やってるのに、情けないよ。

少し悔しそうに、修司は言う。

確かに、彼は真面目に部活をやっていた。

朝練だってサボらず着ていたし、帰るのは一番遅い。

しかし彼が剣道を始めたのは、高校になってからだったのだ。

それゆえ中学からやっていた連中とはどうしても差がついてしまい、中々埋まらないのだという。

やはり三年と言う月日は思いのだろうと思って、彼はため息をついた。

しかし裕璃はそんな修司を見て、微笑む。

「そんなこと無いよ、だって三年で中堅まで行ったんでしょ?」

それって凄い事だよ、と裕璃は彼に言った。

修司はそんな優しい彼女の言葉に、思わず涙が出そうになる。

まさかそんなことを言ってくれるとは思っていなかったのである。

「…そっかな?」

「うん、そうだよ!!」

元気に言い切る裕璃に、修司は思わず心の中で涙した。

よっぽど嬉しかったのだろう。

しかし、心の中で流しても、やはり顔には多少出るものである。

修司もその類に漏れず、ちょっと嬉しそうな表情をしてしまった。

「?」

しかし、裕璃にはとても分かりやすい彼の微笑がどうして浮かんだのか分からなかったのか、思わず首をかしげる。

そんな裕璃の表情を見て、修司は思わず後ろを向いた。

どうやら自分がどれだけだらしない表情をしていたのか気がついたのだろう。

そんな彼の行動が、ますます裕璃を不思議がらせただろうが、それ以上に彼にとっては裕璃にだらしない顔を見られたほうが一大事だった。、

修司は後ろを向きながら、頬を両手で軽くマッサージすると、裕璃を向いた。

予想通り不思議そうな顔をしていた裕璃に向かって、彼は一つ咳払いをした。

「所で、裕璃ちゃんは何の部活に入ってるの?」

おそらくいつも通りであろうと彼が思った笑顔で聞くと、彼女は一度きょとんとした後、

「…なんだと思う?」

と、いたずらそうに笑って彼に聞く。

「え…? うーん…。」

修司はそんなことを言われるとは思っていなかったのか一瞬と惑うも、彼女に似合うだろう部活動を考え始める。

「(えっと…運動部…も似合いそうだけど、文化部だったらそれはそれで納得だし…。)」

修司はとりあえず一通りの可能性を考えて、ある一つの答えを導き出す。

「…運動部の、マネージャーとか?」

数日だが、今まで彼女と暮らしてきて彼には分かった事があった。

それは、裕璃がとても器用だということだ。

殆どのことをそつなくこなしてしまい、要領がいいのである。

お陰で自分が手伝うことは殆ど無く、それが少し寂しく感じられたが、今考えてみれば理由はそこから来ているのではないかと思ったのだ。

しかし ―――――

「残念、ハズレ。」

と言う裕璃に、修司は肩を落とした。

結構的を得た推理だと思っていたのだろう。

しかし、彼はめげずに次の答えを出した。

「じゃあ、調理部とか?」

「うぅん、違うよ?」

「それじゃあ…陸上部とか?」

「それも違うよ。」

「ん〜…意外性を求めてパソコン部?」

「全然ハズレ。」

このように次々と修司は部活を言っていくが、どれも裕璃の首を縦に振らせることはできなかった。

「ん〜…。」

修司は腕を組みながら必死に考えるが、もう何も出てこなかった。

メージャーな部活は、もう言い尽くしてしまったのである。

裕璃がそんな修司が覗き込むように見ると、彼は一瞬息を詰まらせ、

「こ…降参です…。」

と、力なく両手を挙げ言った。

裕璃は、嬉しそうに笑う。

彼女は修司が言い当てるとは思ってはいなかったのだ。

その部活が、パッと考えて出てこないものだと知っていたから。

予想通りに彼が当たらなくて、それが嬉しいのだろう。

裕璃は修司の前に回りこみ、彼を見上げた。

「私はね ―――――」

裕璃が次の言葉を発する前に、

「…おや、坊やにユーリじゃないかい?」

と、なにやらとても聞き覚えのある声が横手の方からした。

裕璃と修司は互いに反射的にその方向を見る。

すると、そこには彼女たちが見知った人物が佇んでいたのである。

そう、隣の食堂の女将・エスメラルダが。

「あ…エスメラルダさん。」

「どうも、 こんにちは。」

裕璃と修司は微笑みながら、彼女に挨拶をした。

女性不振である修司であるが、特に彼女に苦手意識を持ってはいなかったのでいつも普通に話せるのである。

そんな彼に向かってエスメラルダも笑みを零し、二人を見比べて言った。

「…もしかしてデートかい?」

「え…ッ?!」

そんな彼女の言葉に、焦ったような声を出したのはもちろん修司だった。

確かに、彼はこれは一応デートなんだろうなぁとか思っていた。

しかし、自分の心の仲で思っているのと他人に指摘されるのでは気恥ずかしさがかなり違う。

やっぱりデートに見えるんだなぁと実際に分かるのだから。

修司はそんな自分たちの状況を再認識し、顔を赤く染めた。

一方裕璃は、そんな彼女の問いにきょとんとしていた。

まさかそんなことを考えてもいなかったのだろう。

彼女にとって、修司はまだ友達の域を出ないのだから。

「やだなぁ、エスメラルダさん。 私と修司君は… ―――――」

そういうのじゃない、そう言いかけて。

彼女は動きを止めた。

「…? 裕璃ちゃん?」

修司が心配そうに、裕璃に声をかける。

しかし、彼女の耳にはそんな言葉は届いていなかった。

彼の言葉よりも、目の前に広がる光景がとても衝撃的だったから。

彼女達のいる場所は、大通りではないため少々小さめであるが何の変哲も無い十字路である。

その十字路に位置する店の中に、特に女の子目を止めるような店も見えない。

しかし、裕璃はずっとエスメラルダの方 ――― もっと言えば、彼女の来た道の方をじっと見つめているのである。

修司とエスメラルダは不思議に思って、裕璃と同じ方向を見据えた。

「…?!」

「あ…!」

その瞬間、彼らは驚きの声を上げた。

確かに、そこは普段なら何の変哲も無い道だっただろう。

しかし今その道は、滅多に見られない光景が彼らの目に映ったのである。

まず目につくのは、数人の男達。

裕璃や修司と何ら変わりが無い年齢だが、殆どの人があまり柄が良いとはいえない姿をしている。

そんな彼らが、こちらの方に向かって走ってくるのだ。

いや、それだけなら何か急いでいるのだろうと思えるから、まだいい。

しかし彼らの前に一人の少年が全速力で走っていると言うのなら、話は別である。

そう、明らかに彼らはその少年を追っているのだから。

「…あいつら…!! このあたりでよく悪さしてるチームのやつ等だよッ!」

エスメラルダが声を荒げて言った。

しかし、裕璃の耳にはエスメラルダの言った言葉は入ってこなかった。

彼女にとっては、それ所ではなかったのである。

「裕璃ちゃん…あれって…。」

修司は、裕璃に確認を取るために彼女に声をかけた。

その瞬間、追われていた少年が路地に入ってゆき、追っていた男達もそれに続くようにそこを曲がる。

「…ッ!!」

「ゆ…裕璃ちゃんッ!?」

裕璃はそれを見たとたん、走り出した。

修司の制止するように響いた自分を呼ぶ声すら無視して。

そんなこと気にしている余裕なんて、彼女には無かったから。

修司はそんな彼女の走る姿を見て、確信する。

おそらく、自分の思っていることは正しいのだと言うことを。

「エスメラルダさんッ!」

「な…なんだい?!」

「これ、お願いしますッ!!」

そう言って、修司は自分が持っていた紙袋を彼女に手渡す。

荷物を持っていては、色々と不利だろうと思って。

エスメラルダが反射的にそれを受け取ると、彼もまた裕璃を、正確に言えば追われていた少年が向かった方へと走り出す。

「ちょ…待ちな! 坊や達ッ!!」

慌てて呼びかけるエスメラルダの声にも振り向かずに。

彼らには、追う理由が存在していたから。

―――――― 追われていた少年は、紛れもなく先日出会ったリオだったから。



裕璃は走り続けていた。

理由はもちろん、リオを追うため。

しかし、彼女はまだ完全にこの町の地図を頭に入れているわけではない。

大体もう追っていた相手の後姿すら見えていないのである。

こうして裏路地を走り回っていることは、ある意味自殺行為なのかもしれない。

…しかし、彼女は走らずにはいられなかった。

リオは前回、自分を助けてくれたのである。

そんな相手を、裕璃はほっておけなかったのである。

「(待ってて、リオ君ッ!)」

裕璃は少し息を切らしながらも、同じペースを保って走り続ける。

そんな彼女に、修司は舌を巻いた。

先ほどから、もう数分も全力疾走に近い速度で走り続けているのである。

「(普通の女の子なら、もうバテててもおかしくない筈なのに…。)」

何かスポーツでもやってたのかな、と余計なことを考えられるほど、彼は余裕で走っていた。

実は彼は高校では剣道部に所属していて、走りこみも慣れていた。

だから先に走っていた彼女に追いつくこともあまり苦ではなく、走り始めたときに開いていた差は既になくすぐ後ろの方を追走している。

しかし意外に冷静な分析をしている修司も、内心はかなり慌てていた。

たとえ顔を一回あわせた程度でも、確かにリオは彼の知り合い。

しかも彼は少年で、相手は大の大人数名である。

この辺りの治安は大体分かってきた修司にとって、彼等の姿を見ただけでどんな人物なのかは大体分かっている。

あんな柄があまりよろしくない相手数人となると、いくら前回裕璃を助けてくれたリオでも辛いだろう。

彼は少しでも知り合いが傷つく姿は見たくなかったのである。

無事でいてくれよと祈っていると、彼はある奇妙な光景を目にした。

なんと、裕璃が道端にあったかなり長い棒を拾い上げているのだ。

「え…ちょ…裕璃ちゃん?!」

修司が焦ったように彼女の名前を呼ぶが、しかし裕璃はそのことに気がつかず再び走り出す。

気がつかないほど、気が焦っていたのだろう。

修司は急いで彼女を追いかけ、その肩を掴んだ。

裕璃はびっくりしたかのように、彼の方を振り返り、

「…修司君?!」

と、少々非難めいた瞳で彼を見つめる。

裕璃は、早くリオに追いつきたかったのだ。

そのためには走らなくてはいけないし、歩みを止めている暇は無い。

だからつい、彼をそんな目で見てしまったのである。

しかし修司はそんなことにはひるまず、彼女に言う。

「まさか…それで戦うつもりなの?!」

その時、修司は必死だった。

リオは確かに誰かに追われていた。

明らかに柄の悪そうな人たちだったから、確かに戦える用意はしておいた方がいいだろう。

しかし、相手は喧嘩慣れしている男達である。

そんな連中が相手で、いくら棒っきれを持っているとしてもただの女の子が勝てるはずが無い。

修司は、裕璃に危険な橋を渡って欲しくなかったのである。

しかし、裕璃はそんな修司に向かって微笑んだ。

「大丈夫! 私、これでも長刀部だったんだから!」

ちょっと位なら、助けられるはずだもの。

修司はそんな気丈な裕璃の姿に、言葉を出せなかった。

もう彼女の中では、どんなことが起こっても彼を助けるということが決定しているのだと知って。

誰が何を言おうとも、誰も止められないのだということを分かってしまったから。

裕璃はそんな修司に少し微笑んでから、再び走り出す。

―――― リオを助ける。

ただ、その目的のために。

修司はそんな裕璃の後姿を見つめていた。

驚きを隠せないのだろう。

しかし、彼はすぐに気合を入れるように顔をパンッと叩いた。

「裕璃ちゃんが頑張るって言ってるのに、男の俺が突っ立っててどうするんだッ!」

そう言って、彼は自分に気合を入れる。

そして彼は近くにあった棒を手に取り、握り締めながら走り出した。

裕璃の背中を、見つめながら。

先ほどよりも少し速いスピードで。

彼女に追いつくように。

――――― 彼女がリオ君を守ると言ったように、自分も彼女を守ってあげよう。

そう、胸に秘めて。





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