第二章
 6 少年の正体



リオは内心焦っていた。

確かに自分は追われてはいたが、彼等を撒くことができると思っていたから。

それだけ自分の足に自信があったのだ。

しかし、実際は自分は追い詰められてしまっている。

しかも相手は自分などより何年も年上で獲物を持った青年達。

人数は五人と少ないが、明らかに自分が不利である。

リオは確かに少々術が使えた。

でもまだ彼は子供で、覚えたものも数少ない。

また彼は剣術も多少は使える。

しかしまだまだ初心者の域を出ず、なおかつこの場に武器となるようなものは無い。

絶体絶命といってもいい状況だろう。

しかし、リオは不敵に微笑むのをやめなかった。

これはこれでよかったのだと、彼には思えたのだ。



話は、裕璃が彼を見かける前にリオが町を歩いていた所まで遡る。

別に見世物があったわけではないし、友達と待ち合わせしていたわけではない。

しかし、彼には外に出ること事態がとても面白く感じられたのである。

リオがいつもと同じ屋台などに目を移していると、目の前にある光景が映った。

知らない老人が三人の男たちにゆすられているのである。

彼らのどちらかにぶつかってしまって因縁をつけられている、といった所だろう。

リオはそんな光景を見ながら、呆れたようにため息を付きながらしゃがみ込んだ。

周りには結構人がいるというのに、誰も助けようとしない。

そんな彼らが、リオには薄情に見えたのだろう。

しかし、気持ちが分からないでもなかった。

そこで老人の肩を持ったら、彼らが絡まれることになっただろうから。

リオは仕方のないことなのだろうと思い、その場にしゃがみ込む。

そして近くにあった拳ぐらいの大きさの石を手に取り、立ち上がって手を振り被る。

――――― そして、彼はその石を青年に投げつけた…



「よくもまぁあんなモン投げてくれたなぁ…。」

一人の男が、青筋を立てながら彼に詰め寄る。

そんな彼の頭には、大きな瘤が一つできていた。

リオの投げた石がクリティカルヒットした結果である。

「(まぁ自業自得って言えば、自業自得なんだけれど…。)」

元々悪事を働いていたのは、そちらの方ではないか。

リオはそう思いながら回りにいる八人の男たちを見まわし、小さくため息をつく。

確かに、追われていても当然のことを彼はした。

たとえ老人を助けようとしたとしても、彼にとっては物理的攻撃を受けたのは紛れもない事実である。

だから、この状況は仕方ないのかもしれない。

しかし、相手がたった一人で追ってきた場合に限り、である。

青年はあろうことか、リオ一人を追うために仲間を連れてきたのである。

そんなことは、さすがの彼も予想外だった。

彼は小さくため息を吐いて、彼らに言い放つ。

「お兄さんって、大人気ないね。」


ザワッ…


辺りに驚きのざわめきが響く。

まさかこれだけの人数で囲んでいて、こんな子供が口答えしてくるとは思っていなかったのだろう。

しかし、リオは彼らに構わず相変わらずの表情でそこに佇んだ。

自分が間違っっているとは思わなかったのだ。

そんな彼の態度も、彼らにとっては気に食わない。

「ああ?! 何言ってやがるッ!」

「お前が先に俺たちに手を出して来たんだろうがよぉッ!!」

男たちの当然と言えば当然の言葉に、しかしリオは微笑むだけだった。

「でも、お祖父さんに手を出してたのは…お兄さんたちだよね?」

彼のその言葉に、男たちは口を閉ざす。

確かに、彼らは老人をゆすっていた。

それは紛れもない事実だった。

だから、何も言い返せなかったのである。

リオはそんな彼らを見て、一層微笑みを深くする。

彼らはそんなリオの様子を見て、やがて表情を歪めた。

「テメェ…何笑ってんだよッ!」

「今の状況分かってんのか?! ガキ!!」

確かに、自分は笑っている場合ではないだろう。

状況は彼にとって絶体絶命なのだから。

四方は壁や男達に阻まれ、逃げる隙なんて無いに等しい。

しかし、だからこそ彼は笑っていなければならなかったのだ。

彼にははっきりと、今の自分ではこんな大人数と立ち回ることは無理だと知っていた。

だからせめて自分が笑うことで相手の頭に血を上らせ、隙を作りたかったのだ。

確かに一歩間違えれば、間違いなくリオにとっては嫌な状況になるだろう。

しかし、もしそこで逃げれれば、自分の足でどうにかできると思ったのである。

だから彼はどんなに無謀な賭けでも、勝機を掴むために微笑を浮かべていたのである。

しかし、その次の瞬間、彼の表情は凍ることになる。

「「―――― リオ君ッ!!」」

聞き覚えのある声が、その場に響いたから。



裕璃と修司はその現場を見た瞬間、思わず大声をあげた。

走ってきた先に、目指していた少年がいたから。

自分の知り合いである彼が、追っていた人物達に追い詰められて囲まれている。

それは彼女達の予想の範疇だっただろう。

しかし、目の前でそれが実際に行われているとなると、特に裕璃にとっては話が別だった。

修司はリオに自分たちの存在を知らせるために声を出したのだが、彼女は違う。

そんな光景が目の前に突きつけられているという現実が信じられるものではなかったのだ。

だから彼女は叫んだ。

傷つけられてはいないか、心配で。

その瞬間、その場にいた全ての人々の視線が、彼女へと集まる。

当然リオも反射的に同じ方を向き ―――― 表情を強張らせた。

「お…姉さんと…お兄さん?」

リオは呆然と、彼女を見ながら呟いた。

まさか裕璃がこんなところに来るなんて思っていなかったのだろう。

裕璃はそんな彼の姿を見て、ほっと息をつく。

彼が何処にも傷を負っているように見えなかったから。

まだ何もされていなかったのだと思い、安心したのである。

しかし、いつまでも安心している場合ではないだろう。

状況は切迫しているのだから。

彼女は意を決して、さらにもう一歩彼に近づこうとした。

「来ちゃだめッ!」

そんな彼女の歩みをリオは留めようとする。

このままでは彼女達をを巻き込んでしまうと思ったから。

かかわりがないことに、彼女を巻き込んではいけないと思ったのだ。

彼は彼女を傷つけたくなかったから。

しかし、彼女達が立ち止まることは無かった。

それどころかゆっくりと、しかししっかりとした歩調で、彼に近づいてゆくのである。

裕璃は彼の目の前まで歩いてゆくと、彼の顔を見つめながらにっこりと微笑んだ。

リオは自分より少し背の高い彼女を見上げながら、呆然と呟く。

「どうして…。」

ここに来たの。

そう呟こうと思って開いた唇は、しかしその言葉を形作ることは無かった。

今起こっていることがあまりにも彼の考えていたこととは外れていて、驚いて何も言えなかったのである。

そんな彼の気持ちも分かったかのように、彼女は口を開く。

「だって、ほっとけなかったから。」

知り合いが誰かに追われ、その人の身に危険が降りかかりそうな事態を。

そんな光景を見て見ぬふりなんて、彼女にはできなかったのだ。

裕璃だって怖くないわけではなかった。

足だって今にも震えそうで、とてもじゃないが余裕なんて無い。

それでも、彼女にとって彼はもう友達だったから。

どうしても助けてあげたかったのだ。

友達である彼が誰かに傷つけられるのは、彼女は嫌だったのだ。

たとえ自分がどんなに危険な橋を渡ろうとも、助けてあげたかったのである。

リオはそんな彼女を戸惑いながら見つめた。

まさかそんな事を言われるなんて思っていなかったから。

リオが助けを求めるように、修司の方を向いて呟いた。

「…お兄さん…。」

修司はそんな彼に真面目な表情で、

「そうだね、もしかしたら俺達は来ないほうがよかったかもしれない。」

と、彼に同意するような意見を言う。

彼は直接見てはいないが、彼は裕璃を連れて逃げているのである。

一方、自分たちは多少戦う術を知っているけれども、高校の部活程度だ。

実践では、殆ど役に立たないかもしれない。

自分たちが足手まといになってしまうという状況も十分に考えられるだろう。

「…でも…。」

しかし、彼は裕璃を止めるのではなく、追ってきた。

「知り合いが追われてるのに、とても困っているのに、目をそらすなんて俺には無理だったから。」

だから追ってきたんだと、彼は苦笑いを浮かべながら告げる。

「…―――――。」

リオは、修司の言葉に息を詰まらせた。

彼は裕璃と出会ってしばらく話をしていたが、修司とは殆ど会話をしていない。

顔をあわせた程度、と言った方が正しいだろう。

そんな彼からまさかそんなことを言われるなんて、彼は思ってもいなかったのだ。

リオはもう一度口を開こうとして ―――― やめる。

もう彼には、彼らをこの場から離れさせる方法が思い当たらなかったのだ。

何を言っても彼らは引かないだろうと言うことが、彼にははっきりと分かったのだから。

リオは一度下を向き、何かを考え込むかの様に瞳を閉じる。

彼は数秒そうした後、瞳をゆっくりと開けて、彼女たちにこう言った。

「ありがとう…。」

とても嬉しそうな、微笑を湛えて。

裕璃と修司は、そんな彼の表情を見て、思わず顔を見合わせる。

そして互いに小さく頷き、リオの方を向くと、

「うん、どういたしまして。」

「一緒に戦おう?」

と言って、同時に微笑んだ。

彼が自分たちを頼る気になってくれたのが、嬉しくて。

――――― その時、

「…随分余裕だなぁ…お前等。」

彼ら以外の声が響いた。

三人が同時にその声の方へと視線を送ると、そこには不機嫌に顔を歪める一人の男。

いや、その男だけではなかった。

周りに居た七人の、リオに絡んできた男たちは皆あるいは舌打ちし、あるいは怒りを露にしていた。

自分たちを無視して会話する彼らが気に入らなかったのだろう。

そんな彼らの表情を見て、裕璃はきゅっと表情を引き締める。

いつまでも仲良く話し合っている場合ではない。

そんなことは、彼女にも分かっていたから。

「…。」

裕璃は、いや他の二人も、彼らを睨みつける。

彼らの気持ちが、一つに固まったのだ。

しかし、それは男たちをますます煽る結果となってしまう。

だが彼らはそんなことを気にせず、自分が持っていた棒などを構える。

彼らと戦って勝つこと。

どんなに無謀なことと知っていてもそれ以外に打開策が無いことくらい、彼らは分かっていたから。



状況は彼らの予想した通り、けして芳しいとは言えなかった。

確かにリオが一人で相手をどうにかするよりも、三人で戦った方が相手に隙を作れるだろう。

しかし、三人に増えたお陰で逃げることも困難になってしまっている。

だから、彼らは己の武器を振るうしかなかったのである。

もちろん、この場において唯一の女性である裕璃も同じである。

「…ッ!!」

裕璃は拾ってきた棒で、相手の攻撃を受け流す。

それくらいのことは彼女にもできた。

祖父が道場を開いてはいたが、裕璃は殆ど彼から指南を受けたことが無い。

初めは妹の愛璃と共に習ってはいたのだが、自分には向かないと思ってやめてしまっていたのだ。

しかし、それとは別に彼女は高校で長刀部に所属していた。

ただの部活といえども彼女は真面目にやっていたので、本気で相手がかかってきても自分の身を守って戦うくらいは出来ている。

修司も修司で上手に相手の攻撃を受け流し、時には反撃に出ることさえもある。

リオも素早い動きで、相手を撹乱している。

それでも、中々逃げるチャンスは見付からなく、第一相手の人数も一向に減らない。

相手は彼女たちより人数が多いので、連携しやすいのだろう。

一方、裕璃たちの体力は減っていくばかりだった。

三人だけで、八人を相手しているのである。

戦いなれた人ならそんな人数はものともしないのだろうが、生憎彼女たちは部活で少々習っていた程度であり、まだまだ一般人の域を出ていない。

しかも、三人はまだ子供と言える年齢なのである。

大人の、しかも男達を相手するには、分が悪い。

裕璃は、三人の男達に立ち向かっていた。

「おらぁッ!!」

そういいながら、ナイフを突き出してくる男。

凶器による攻撃であるそれを、裕璃は少々危なっかしくではあるが攻撃をかわす。

それと同時に、手を突き出したために出来た方へと、棒を振り下ろした。

しかし踏み込みが甘かったのか、別の男に簡単に払われてしまう。

「やぁッ!!」

それでも裕璃は諦めず、その勢いのまま棒を半回転させて反対側の先で払った男のみぞおちに向けて打ち付ける。

男はそこまでは予測していなかったのだろう、驚きの表情を浮かべた。

彼はその攻撃をかわすことが出来ずに、まともにみぞおちに受ける。

ゴンッ という音が響き、男は表情を歪める。

「(今度こそ…。)」

相手は倒れてくれるだろうか、と祈るように抱いた裕璃の期待は、しかしすぐに裏切られる。

相手は一瞬ひるんだものの、すぐに体制を立て直して自分に向かってきたから。

どうやらたいしたダメージは与えられなかったようだ。

裕璃は思わず、焦りの表情を浮かべ、相手はにやりと笑う。

先ほどからこんな状況の繰り返しなのである。

守ることに重点を置いているから、攻撃が殆ど当たらない。

当たったとしても反撃されるのが怖いから、うまく踏み込めない。

部活では、こんなことは無かったのにと彼女は悔しく思う。

「(やっぱり…愛璃と一緒に訓練やっておくべきだったかも…!)」

裕璃はそう思い、歯を食いしばる。

こんな場面に出会うなら、もっと前から何か始めておけばよかったと。

それこそ子供の頃諦めずに、愛璃と共に祖父から学んでおけばよかったのだと。

確かに、彼女が幼い頃から愛璃と同じメニューをこなしていたのなら、この程度の相手は楽勝であろう。

しかし、自分はその方面については殆ど努力していなかった。

武道などよりも、もっと楽しいことがあったから。

そのときはそれを優先していたのだが、今この状況を考えると、間違った選択だったのかもしれない。

裕璃はそんなことを考えながら厳しい表情を取り、三人目の男から繰り出された攻撃を棒で叩き落とす。

「(攻撃を受けては…ダメッ!)」

相手は喧嘩慣れしているのだから、当然相手の急所を突くことも、自分たちより得意なはずなのである。

受けてしまっては、自分は多大なダメージを負うことになるだろう。

それでは負けてしまうと、裕璃にはちゃんと分かっていた。

だから、彼女は相手の隙を探しては、その部分に攻撃を仕掛けているのである。

攻撃をしなくともまた、この喧嘩には勝てないだろうから。

しかし、その隙というのは、一瞬現れるもの。

狙っても自分が気づくのが遅いのか、殆ど当たらない。

それが彼女には、歯痒かった。

自分が技量不足だと、思い知ってしまうから。

裕璃はそんな迷いを振り切るように一歩踏み込み、右手で棒を振るう。

だが、迷いの入り混じった攻撃が入るほど、敵も甘く無い。

裕璃が踏み込んだために左側に隙ができたのだ。

彼女が相手にしていた男は別として、隙をうかがっていた男が見逃すはずが無い。

「ハッ!」

男は薄く笑いながら、彼女に向けてナイフの斬撃を走らせる。

「…ッ!!」

裕璃が慌ててそれを半身ずらしてかわす。

ナイフで傷つけられては致命傷になると、理解していたから。

しかし、いやよけた後だったからこそ。

自分が攻撃を向けた相手が次にどのような行動に出るか、彼女には予測できていなかった。

「食らえッ!!」

裕璃は、今まで目の前にいた男の声に、思わず耳を疑う。

男の声は彼女の目の前ではなく、今彼女がよけた方向からしたから。

彼女が慌てて横を向くと、聴覚で感じ取った通り男がそこにいた。

その手に持っていた鉄棒を、振りかざして。

裕璃は咄嗟に、両手を挙げる。


カランッ!!


あまりの痛さに表情を歪める裕璃。

男が手にした鉄棒が、両手に当たったのだ。

どうやらかなりの威力が込められていたらしく、手の甲が赤くなってしまっている。

しかし、それよりも重要なことがあった。

両手を打たれたことで、持っていた棒を落としてしまったのである。

「…ッ!」

裕璃は右手に先ほどまでの感触が無いことに、すぐに気づいた。

慌てて辺りに目配せをすると、少し離れた所に転がった棒を発見する。

裕璃は、急いでそれを拾おうとする。

しかし、彼女がそれを手にすることは無かった。

目の前にいた男がそれを許さず、それを蹴り上げて後ろの方へと飛ばしてしまったのである。

これでは、もう彼女には拾うことはできない。

裕璃はその姿勢のまま、その男を睨み上げた。

しかし男は彼女から武器を取り上げた余裕からか、にやりと笑みを浮かべる。

「まだ抵抗する気かよ…、意外に気が強ぇお嬢さんだな。」

「!!」

男は裕璃の胸倉を掴み、そのまま彼女を持ち上げる。

そして彼は自分よりももっと後方の方へ彼女を投げつけた。

投げつけられた先に存在していたのは、とても硬そうな石壁。

しかし、彼女はまだ何が起こっているか理解できなかった。

今までこんなことは、彼女はもちろん経験したことが無い。

こんな事が起こるなんて、彼女はまったく想像したことが無かった。

「裕璃ちゃんッ!!」

修司が悲痛な声を上げる。

彼女の耳に届いた時、ようやく裕璃は現在の状況を把握する。

自分は、このまま壁に叩きつけられるのだろうと。

投げつけられたのは対先ほどで、壁までそんなに時間はかからないだろう。

徐々に縮まってゆく、彼女と壁との距離。

これでは、もう避けられない。

裕璃はそう思って、衝撃に備えようと目をきゅっと閉じた。

―――― しかし。

彼女がいくら目をつぶろうとも。

彼女がいくら衝撃に備えようとも。

彼女が思っていたような衝撃はまったく来なかった。

変わりにあったのは、少し横へ軌道がずれたという感覚と、お腹と背中全体に伝わる熱。

壁から感じることは無いだろう、人間特有の暖かさ。

「…何やってんだ、お前は…。」

裕璃はその聞き覚えがある声に、思わず眉を顰める。

この場にはけしてありえない声なのに、何故この声が自分の後ろの方からしてくるのだろうかと。

裕璃は不思議に思ってその瞼を持ち上げ、少し振り向く。

そして彼女の表情が、驚きの色に染められた。

そこにいたのが、白衣を身に纏った青年が、彼女の予想していた通りの人物だったから。

「…ゼ…ゼロ? 」

裕璃がポツリと彼の名前を呟くように、呼ぶ。

すると、彼は彼女の問いに見合うように、

「ああ。」

と、表情も変えずに完結に答える。

しかし、裕璃はそれでもまだ信じられずにいた。

まさかこんな所に彼がいるとは思わなかったから。

「ほ…本当に?」

裕璃は思わず、確認を取る。

すると、彼はいつもの不機嫌そうな顔をますます歪め、

「…なら、お前の目の前にある顔はなんなんだ?」

と言いつつ、彼女を地面の上に降ろし、回した腕を解いた。

裕璃はその時、初めて自分が抱きとめられていたのだと知り、顔を少々赤らめる。

まさか彼にそんなことをされるとは思っていなかったのだ。

彼女は恥ずかしさで俯きながら、

「…そ…そうだよね…、ごめん。」

と、妙な質問をしてしまったことに対して謝る。

彼にとっては失礼だったのではないだろうかと。

その上、ゼロが自分を無表情に見下ろしているものだから、相当怒っているのではないかと彼女には思えたのだ。

裕璃が焦っていると、彼が徐に左手を振り上げたのを視界の端に捉える。

何故彼がそんな行動をしたのか分からずに、裕璃は身を硬くした。

怒られるのだろうかと、思ったから。

しかし、彼女が考えているようなことは、まったく起こらなかった。

彼の手はそのままゆっくりと下ろされ、彼女の頭に下ろされる。

そしてそのまま、彼女の頭を撫でた。

「…?」

裕璃は彼の行動を訝しがる。

彼が出た行動があまりに意外だったのだろう。

しかし、ゼロはそんな彼女の評定すら予想していたらしく、

「…驚きついでに、そのままそこで突っ立ってろよ。」

と言って、彼女から離れて何故か喧騒が収まっている集団へと足を運ぶ。

裕璃はそんな彼の後ろ姿をしばし呆然と見守った後、

「…ついで…って、どんなついでだろう?」

と、当然とも言える疑問をぽつりを呟いた。



ゼロは、何もかも聞こえていた。

先ほどの裕璃の呟きも、裕璃を抱きとめたことに対する修司の哀愁の独り言も ―――― 男達の呼びかけも。

「よぉ兄ちゃん。」

「こんな所に、何の用だい?」

深いな笑みを浮かべる彼らに、ゼロは忌々しげに表情をゆがめた。

「用なんて無ぇ。」

そう言い切るゼロに、男達は人の悪い笑みをさらに深め、

「なら悪いことは言わねぇ…とっとと失せな。」

と、月並みすぎる台詞を吐く。

ゼロはそんな彼らを左から右へと流し見て、ため息を吐いた。

実は、自分だって別に来たくて来たわけではなかったのだ。

家からここは随分と離れているし、第一彼は今まで方陣魔法の研究をしていたのである。

暇でその辺りを歩いていた、というわけではない。

だが、来なくてはいけなくなってしまったのだ。

隣に住むエスメラルダが突然家に駆け込んできて、
ろくに状況も説明しないまま喧嘩をしている裕璃達をを助けろと彼を家から叩き出したのである。

彼が文句を言うものの、エスメラルダは頑として譲らない。

それどころか、ゼロが行かないなら自分が助けに行くとまで言い出してたのだ。

相手の人数は分からなかったが、エスメラルダはある意味強いがただの人間で、倒されるのは目に見えている。

さすがにそんな状況は後で目覚めが悪かったし、ストレス解消にもなるだろうとこの町の地理の知識を総動員させてここまで辿りついたのだ。

しかし ―――――

「こいつ等如きにオレを呼ぶなんざ、あのババアいい度胸してるじゃねぇか。」

彼が呟いた瞬間、青年達はざわついた。

中にはあきらかに非難の声も混じっていたが、ゼロはそんな彼らにお構い無しに修司を睨みつける。

何故こんな相手も始末できないのかと、非難の色を混ぜて。

彼の視線から怒りがダイレクトに伝わったことにより、修司が真っ青になった事を目の端で捕らえながら、続いてこの事件のきっかけとなった少年の姿を探す。

今から自分がすることに巻き込んでは後々面倒だと思ったのだ。

彼は今度は左から右へと視線を移してゆき、一番端の方にこの中で一番小さいであろう人影を見つける。

―――― その瞬間、彼は動きを止めた。

「あれは…。」

ゼロは思わず、ポツリと呟く。

その面影に、ゼロは見覚えがあったから。

ゼロがじっとその人物を見つめると、少年はふと彼に笑いかけた。

それは様々な感情が入り混じった笑みで、全ての思いは読み難い。

しかし、彼の事を知っていたゼロには、何故彼がそんな笑みを浮かべたのか充分に分かっていた。

「―――― オイッ! 聞いてんのかよッ!!」

男達の怒りの声がゼロの耳に響き、彼は初めてじっくりと男達を見る。

どれもこれも柄の悪そうな連中で、全員に怒りの表情が浮かんでいた。

おそらく自分が彼らを今まで無視していたからだろう。

だが、正直彼らがどう思っているかなんて彼にはどうでも良かった。

「――――― 閃烈の乙女が舞いし時。」

ゼロは突然、何かを呟く。

瞬間、周りの男達の怒りのヴォルテージは一気に上がった。

今まで散々無視されてきたのに、さらに呼びかけにも答えず何か分からないことを言い出したのである。

彼らの思いも仕方ないと言えば、仕方が無いだろう。

「零れ落つるは光の雫。」

しかし、ゼロはそんな彼らにお構い無しに、その言葉の続きを呟く。

相手の都合なんて、彼には関係が無かったのだ。

こんな連中をいちいち一人ずつ相手にしても、彼のストレス解消の相手にもなりはしない。

ならばさっさと片付けて帰ったほうがましだと、彼は判断したのだから。

その瞬間、一人の男が切れた。

「…ッテメエッ!!」

男が、ただ立っているだけのゼロに向かって、ナイフを振りかざし走ってくる。

その中のリーダー格ともいえるその青年のプライドが、無視されると言うことを許せなかったのだろう。

「我、ゼロ=ウィンシーの名の下に命ずる。」

肉薄する青年を冷たい目線で見ながら、彼はもう一説呟いた。

一層不機嫌そうに表情が歪んだ青年のナイフが、ゼロを襲う。

彼は慌てず、それをヒラリと交わした。

しかし、どうやら青年もバカでは無いらしい。

ゼロが攻撃を避けた後、彼はその場を飛びのいて腰に指してあったナイフを数本抜いて、彼に投げつけたのである。

これならば、相手を倒せると思ったのだ。

しかし、それはあまりに甘い考えだったと彼が理解したのは、大分先だった。

ゼロが白衣から取り出した二本の何かで、その全てが叩き落されたのだから。

まさかこの渾身の攻撃すらもかわされるとは思わず、男はただその場に立ち尽くす。

そしてゼロはニヤリと彼に ―――― いや、男達にニヤリと笑みを向けた。

「…乙女よ、この場で舞え。」

刹那、蒼く蒼く晴れた空が、白く瞬いた。

その普段はありえない光景に、その場にいた誰もが思わず動きを止めて空を見上げる。

――― それが、男達にとって命取りだった。

その閃光が奔った次の瞬間、幾筋もの光が大地に降り注いだのだから。

「な… ――――」

リーダー格の男が何かを呟こうとしたが、しかし最初の一文字以外がその口から発せられることは無かった。

何かを言う前に、そのうちの一筋が彼を打ち抜いたのだ。

いや、彼だけではない。

その男の次にゼロの飛び掛ろうとしていた男も、リオに再び攻撃をしようとしていた男も、成り行きを呆然と見守っていた男も、皆何れかの光が降り注いでいたのだ。

しかもその光はただの光ではない。

ゼロの言葉により生み出されたそれは ――――― 稲妻だった。

「!!!!!」

声にならない叫び声が、辺りに響く。

呪文によって生み出されたそれは、自然界のものよりもはるかに威力は少ないだろう。

しかし、それでも人体に多大な影響を及ぼすほどの威力を持っていた。

彼の呪文により生み出された雷光は、やがて何事も無かったかのように白光が消え去る。

消え去った後に残ったのは、ゼロと地に平伏す男たちと、雷光がまったく降り注ぐことが無かった裕璃達。

ゼロはそんな男達の光景を見下ろしながら、白衣のポケットに入っていたタバコを取り出す。

彼は何か一言ポツリと呟いてタバコに火を灯し、口に咥える。

彼の口から、紫煙が吐き出された。

「安心しろ、その程度じゃ死なねぇ。」

最も、朝になるまでは起き上がれねぇだろうがな。

ゼロはそう言って、もう一度タバコの煙を吸い込んだ。



その場所には、ある種の静けさが流れていた。

別に誰もいなかったと言うわけではない。

ここは先ほど彼らが戦っていた場所であるし、雷に打たれて倒れた男たちも端に追いやられているがその場にいた。

もちろん、彼女たちも場所を移動してはいない。

ただ、全員が全員、とある場所に集まっていたのだ。

ゼロが男たちを適当に蹴飛ばし、広くした中央へ。

理由は簡単である。

エスメラルダによって突然呼び出され何も聞かされていないゼロに、裕璃と修司が事情を説明していたのだ。

彼らによって説明されたその事柄は、とても分かりやすいものだっただろう。

しかし、ゼロから何も言葉が発せられることは無いまま、もう数分が過ぎていた。

「…。」

裕璃は、とても不機嫌そうにタバコを吸うゼロを黙って見つめる。

自分たちがまだ何か説明したりていないことがあるのではないかと、心配になったのである。

だから彼は何も言えずにいるのだと思ったのだが、しかし彼女には足りない何かは分からなかった。

裕璃は助けを求めるように修司に視線を向けると、彼は彼女に苦笑いをする。

その行動で、どうしてゼロが黙っているのか修司にも分かっていないのだということを知り、裕璃は諦めたようにまたゼロを見た。

すると、今まで上を向いていた彼は、今度は俯いて何かを考え込んでいる。

一体何を考えているのだろうと裕璃が思っていると、ゼロはまた一つ紫煙を昇らせ、そのまま吸い終わったタバコを投げ捨てた。

「…つまり…?」

そう彼が呟いた瞬間、辺りの気温が急激に下がった。

口を開いたと同時に、ゼロが彼らを睨みつけたのが原因である。

「殆ど見ず知らずの奴を助けるために、戦いにド素人にもほどがあるお前等が無謀にも助けに入ったと、そういうわけか?」

「は…はい、そうです…。」

修司が観念したように同意すると、ゼロは盛大にため息を吐いた。

まさかそんなことが原因で、自分が呼ばれたのだとは思っていなかったのだろう。

彼にとって大切なことが邪魔されただけあって、彼は大変不機嫌だった。

「…でも。」

そんな彼に意見を言ったのは、裕璃だった。

「知り合いが困っていたら助けるのが当たり前だと…私は思う。」

困っている人がいたら助けると言う行為は、裕璃にとって当然のことだったのだ。

だからゼロに痛いくらいに睨まれても、彼女は平気だった。

自分の信念を貫き通す、それは彼女のポリシーだったから。

裕璃はゼロの視線を真っ向から受け、真剣な目で見つめ返す。

「…その辺にしてよ、ゼロ。」

すると、そんな二人に突然声がかかった。

今まで頑として口を開かなかった、リオである。

「…お前は口出しするな。」

ゼロは、そんな彼に向かって冷たい視線を送る。

これは自分と彼らの問題だと、彼は解釈していたのだ。

しかし、リオはそんな彼の視線も受け流し、

「彼らは僕を助けに来たんだよね? だったら僕の責任だもの。」

だったら怒られるのは彼らじゃなくて、僕でしょ?

そう言って、彼はゼロに笑いかける。

ゼロはそんな彼をなおも睨みつけた。

しかしニコニコ笑っている彼を見て、視線を少し移してため息を吐く。

これ以上睨んでも彼には無駄だと、少し付き合いの長い彼は悟ったのだろう。

リオはそんなゼロを見ながら、満足そうに一層笑みを深めた。

「…えっと…。」

そんな二人に声をかけたのは、裕璃だった。

「何? お姉ちゃん。」

嬉しそうに裕璃に話しかけるリオに、彼女も釣られたように微笑む。

「リオ君…って、ゼロと何処で知り合ったの?」

それが彼女には分からなかった。

彼女はこの数日間、町に出ながら彼の姿を探していたのである。

エスメラルダに聞いてこの辺りの子供ではないことを知ったのだが、街にはいると思って歩き回ったのである。

しかし、彼を見つけることは出来なかった。

そんな町にいるのが希少価値のような少年が、殆ど外に出歩かないと思われるゼロが知り合いと言うことが、彼女には分からなかったのだ。

「…ああ、こいつとは城で何度か会ってるからな。」

「「…え?!」」

裕璃と修司は、同時に驚きの声を上げた。

ゼロが城に用事があると言うことは、確かに彼らにとっては意外だったが、この場合は他の事が原因である。

そう、リオが何故城にいるのかと言うことである。

彼はまだ自分たちより幼い少年で、学校に通っている年齢であろう。

そんな彼が城にどんな用事があるのかと、彼らは思ったのだ。

そんな裕璃達の表情を見ながら、ゼロは眉根を顰める。

「…お前、まだ何も言ってないのか?」

それは非難めいた声で、思わずリオも苦笑いを浮かべた。

「うん、言い忘れちゃってて。」

その言葉に、互いに顔を見合わせる。

何を言われるのだろうと、お互いに不思議に思い取った行動である。

そんな彼らの疑問なんてお構い無しに、彼はくすくす笑った。

一層思案の表情を深める裕璃達の方へとリオは向き直り、会釈する。

「改めて、初めまして。」

その会釈は妙に形式じみていたのだが、妙に様になっていた。

そんな彼の行動がますます二人の疑問を膨らませる。

何故彼が今更『初めまして』という言葉を使ったのか、と思って。

「僕の本名は、リオール。リオール=アルフェリア=エルトランド。
 この国の、第二王位継承者です。」

以後、よろしく。

そう言って、彼はもう一度会釈をした。

二人は思わず彼を凝視し、そしてお互いに顔を見合わせる。

「第二王位継承者…って…。」

「つまり…。」

混乱して、考えがまとまらない二人に、ゼロはボソリと呟いた。

「平たく言うと、この国の王子だな。」



次の瞬間、空が割れんばかりの驚愕の声が二つ辺りに響いたのは、言うまでも無い ―――――――――





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